2月3日
2月10日
2月17日
2月24日

24日
「雪隠詰めの果てに」
                               野口 直樹
「雪隠詰め〈せっちんづめ〉」という将棋の言葉があります。
 私は6年間、会社つとめをしていましたが、寮のルームメイトは金刺君という仲良しでした。けれどもある日、彼のガールフレンドについて冷やかしたことで、彼をかんかんに怒らせてしまいました。軽い冗談のつもりだったのですが、彼は「絶対に許さん。」と言い続け、私は何度も、「すまん、すまん」謝りますが、彼の怒りは解けません。
私はどういうわけか便所に入り込みました。いたたまれなく、どうしていいか解らなくなったのでしょう。私は中で「すまん、すまん」と言い続けました。まさに、雪隠詰めです。
今度は金刺君が心配になったらしいのです。中で首でもくくられたら大変とでも思ったのでしょう。「野口く〜ん、出て来いよ。」と何度も呼びますが、私はなかなか出ることができません。彼は最後に、「許すよ。だから出て来いよ。」と言いました。その一言で私はスッとドアを開けることができたのです。
「すまんかった。」「いいよ、もういいよ。」こんな会話があって、後は何事もなかったように元通りの仲良しに戻りました。
 私はこのとき、許しは向こう側から来るものだ、ということを悟りました。そして「許すよ」のたった一言で許しは決まること、許される者は、その一言を素直に受け入れるだけでいいのだ、ということを体験しました。
 「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによるあがないの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマ3:23)とあります。
 イエス・キリストの十字架は神の許しの宣言です。神さまはそれによって、「おまえの罪は許された」と言っておられるのです。
 罪に閉じ込められて身動きのできなくなった私は、その宣言を信じ受け入れて罪の密室から出て行きさえすれば、神さまとの豊かな交わりを回復することができるのです。
 私たちは罪に対しては償いということを考えます。それは大事なことですが、いくら賠償金を積んでも、それで罪が消えるものではありません。相手が「許す」と言ってくれない限り、私たちは永遠に罪の呪いの下に置かれるのです。しかし、相手が「許すよ」と言ってくれた時、私たちの償いの多寡に関わりなく、許しは実現するのです。
 十字架は神さまの許しの宣言、向こう側から届いた救いの贈り物です。

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17日 
 「信仰の情熱を持って」
                                元若松教会牧師 田口昭典

 かつて、仕事のついでに桜島に行き、1914年(大正3年)の大噴火の跡が見られる展望地まで出かけました。現在は降灰もなく、噴煙は僅かですが、その昔から桜島は噴煙を上げる勇ましい山として人々に親しまれてきました。溶岩の大地にゆかりの人々の歌碑が並んでいました。その中で、わたしの心に熱く迫ってきたのが幕末の志士平野国臣(ひらのくにおみ)の歌です。「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」
 平野国臣は福岡藩士で、西郷隆盛とも働きを共にし、錦江湾に身を投げた西郷を救ったのも彼でした。この歌は語呂もよく、桜島の雄大さも良く表しており、何よりも、国の行く先を憂い、一身を挺する熱き志に溢れています。幕末の志士に後れを取っては恥と思い、柄にもなく、一句を詠みました。「わが内に 燃ゆる思いの 降り来たり 溶岩(いわ)をも砕く 十字架の愛」と。溶岩は私の頑なな罪の心です。
 イエスの弟子たちも、幕末の志士たちも、天が自分に命じていることを良く理解していた人たちであったと思います。私たちも、大きな視点で、神から頂いている自分の使命を捕らえ直してみる必要がありそうです。
 神学校を出て若松教会の牧師として赴任したとき、私は、良く高塔山に登りました。「神さま!この町を下さい!」と本気で祈りました。若いということは、欠陥も多く、弱さを持っていますが、同時にすばらしい能力を秘めています。夢を見る能力です。この夢こそ、志であり、使命へと私たちを導くのです。若松教会の皆様と素晴らしい夢を一杯見て、祈って、その実現を見たことは私のかけがえのない宝物となっています。
 イスラエルをエジプトから導き出した指導者モーセはネボ山の頂から、乳と蜜の流れる約束の地を見ながら、神の声に聞き従ってその地には入りませんでした。 聖書はモーセの死に際して、「目はかすまず、活力もうせてはいなかった」と言っています。2年前、私はこのネボ山に登りました。そしてモーセの心が少し分かったような気がしました。彼は信仰の情熱を内に持ちながら、神を信じ、神にゆだね、神が最高の指導者を立てられる事を確信したのです。私たちも神に期待し、祈り、いつでも御心に従う準備をしておきたいものです。

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10日
「自己紹介」                 野方キリスト教会  松崎 準神学生

 私は、1972年に長野県で生まれ、中学時代に非行に走り、そのため高校に進学できず遊び歩いていたところ、父の勧めでハワイの高校(ミッションスクール)に入学しました。しかし毎週教会に連れて行かれるのが嫌で1990年ジョージア州アトランタの公立の高校に転校しました。しかしホームステイ先の親代わりの夫婦がなんと牧師夫妻…、また毎週教会に連れて行かれるという思いもよらぬ事態に大きなシャックを受けました。しかし、そこでその牧師夫妻との生活を通して、彼らの温かさと優しさに触れ、イエス様に出会い、生まれて初めて赦しを経験しました。そして、1991年イースターにバプテスマを受けました。その後20歳の時になんとか高校を卒業し、妻と結婚、1993年大学を中退し、日本に帰国しました。翌年、長野県で警察官になり、1997年警察官を辞め、ガソリンスタンドに就職しました。また同時期に長男が誕生しました。1999年東京に転勤し、債権管理回収の仕事に就きました。ここで初めてバプテストの舞浜キリスト教会に出席しました。2002年群馬県高崎市に転勤し、高崎キリスト教会に出席し、そこで献身の思いが与えられました。毎日のように迷い、悩んでいたところ、ルカによる福音書5章11節でペテロがすべてをそこに置いたまま、ありのままでイエス様に従ったということに心を動かされ献身を決意し、2004年4月に高崎キリスト教会から推薦され西南学院大学神学部に入学しました。そして2007年3月に神学部を卒業し、同年4月から西南学院大学大学院神学研究科に進学し、学びを続けています。 
 神さまの先立ちによって、私たち家族が福岡に導かれてから早3年10ヶ月が過ぎました。私たちのために祈り支えてくださっている諸教会の方々に感謝しながら残りの大切な学びの時を神さまとともに歩んでいきたいと思います。許される限り、多くの人と出会い、多くのことを経験し、自分の信仰を少しずつ確かなものにしていきたいと願っています。

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3日
「差し引きで消えるものなら」            野口 直樹

 やくざ上がりの人と隣り合わせに住んだことがあります。胸も背もみごとな入れ墨の人でしたが、「おれの前科は自分でも覚えておらん。しかし言っちゃ済まんが、みなきれいな前科じゃけん。」と言うので驚きました。前科にもきれい、きたないがあるんだ。「おれのはやくざ出入りの、切った張ったの前科で、詐欺、すり、かっぱらいなどという、げすな前科じゃない」と。
 小倉の医療刑務所でクリスマス礼拝をしたとき、そのことを話したら、わけ知りの人が、「詐欺、すり、かっぱらいにもランク付けがあって、詐欺は頭使うから少し上、すりは技術がいるからその次ぎ」などと説明してくれました。上には上、下には下があるんですね。人間はそうして人と比べて、少しでも自分が良いと安心するんですね。
 落ち度の無い人は一人もいません。それで、自分の善行と悪行との差し引き勘定で穴埋めをして、自らを慰めようとするわけです。しかし、スピード違反でつかまって、「ぼくは今まで制限速度の10キロ以下で走って来ました。今の10キロオーバーと差し引きして、勘弁してもらえませんか。」と言って、それに乗るようなおまわりさんはいないでしょう。
 罪が差し引きで消えるものならどんなに楽でしょう。しかし聖書は、「人は皆、罪を犯したので神の栄光を受けられなくなっている。正しい者はいない。一人もいない。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」(ロマ3:23)と極めて厳しいのです。更に、「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされない。」とも言うのです。
 では、そこからの救いはあるのか、希望はあるのか、ということになります。「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに神の義が与えられる。そこには何の差別もない。」(ローマ3:22)という聖書の言葉が唯一の希望です。

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