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7月22日
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22日
☆「主はつねに共にいます」
神学校を卒業して、出身教会の下関バプテスト教会の牧師になって6年ぐらい経った頃、西南聖書学院の教師になる話が来ました。
私は真剣に祈った末、主のみこころと信じてお引き受けしました。ところが学校で教鞭をとることと、現場の教会で牧師をすることとは随分違っています。
私は能力の無さを知らされました。私の指導を受けた神学生には大変な迷惑をかけてしまいました。私は心から悔い改めて、教師を辞し、牧師に復帰しました。
教師は失格で牧師ならできると思ったからではありません。神様に用いていただく道は、この道しかないと悟ったからです。まことに感謝名事に、それ以来、牧師は私の天職となり、全く迷いの無い楽しみな職務となったのです。
人は迷い、錯誤します。しかし、私はそのような迷いと過ちの中で神様の深い愛を経験しました。神様は「主のみこころ」という赤い玉を手に持って「さあ、どっちだ。右か左か。右?はずれ。左でした。」というようなお方ではありません。
はずれを選んだ者には、それっきりそっぽを向いてしまうお方ではありません。「おまえはそっちを選んだのか。そちらはお前の道ではない。しかしわたしはおまえから離れない。その道で私はお前の神であり続けよう。」といってくださったように思います。その後、何か決断しなければならない時があると、私は次のことを心に留めるように心がけています。
1.我が思いではなく、主のみこころを示したまえ。
2.右を選んでも左に進んでも同伴者イエス様は共に歩んで助けてくださる。
3.やがて主は私が間違っていたことを示されるかもしれない。その時には勇気を持って改めることができますように。
「主は、『わたしは、決してあなたを離れず、あなたを棄てない』と言われた。だから、わたしたちは、はばからずに言おう、『主は私の助けぬしである、私には恐れは無い』」(ヘブル13:6)
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ハナ・クローン姉のあかし
綾塚マーラ姉が通訳してくださいました。
ハナ・クローン姉とグウェン・ケニカット姉によるゴスペル・ダンスのあかし
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15日
☆神様は望まない道に導かれることがある。
初めて教会に来た人は解らないことが多いでしょうね遠慮なく何でも聞いてください。私が初めて教会に行った時も解らないことが多かったです。
4週目ぐらいには行きたいのを我慢して休んでいました。あまり続けて行ったら厚かましいと思われるのではないかと考えたからです。
「教会というところは続けて行くのがいいんだよ。それを神は喜んでくださるのだよ。」と教えてくれた友人がおりまして、それから私は喜んでオール出席を続けました。
牧師の尾崎先生の説教にはいつも心を動かされていました。「あの説教の原稿はどこから送られてくるのだろう。それにしても上手に話されるものだ。」と感心していました。ところが「説教は牧師さんが自分で用意されるのです。」という執事さんの説明を聞いて私はひっくり返るほど驚きました。
「とてもぼくにはできない。他の何かをやれと言われても牧師だけはできない。」そう思いました。
それから黙々と教会の奉仕をしました。当時は薪ストーブでしたから、薪割りなど一生懸命しました。すると人々は「まじめな青年だ。神学校に行ったらいい。」などと期待し始めたのです。尾崎先生までも牧師になるようにと勧められるのです。
私がどんなにシャイで話が下手かを良くご存知だったはずなのに。
☆無から有をおこしたもう神様
このようにして私は逃れよう、逃れようとしていた牧師への道にだんだん近づけられていったのです。とうとう牧師になってしまい、そして50年も続いているのです。小学校の同級生なら皆信じられないと言うはずです。今では喋りすぎが最大の問題になるほどの人間になっているのですから。
ドージャー先生という先生が「牧師は3分前に、説教を頼まれたら断ってはいけない」と言われましたが、私はいつでもOKという気持です。
知識や経験で語ることが苦にならないというのではなく、聖書は日々に新しい教えを私にくださるからです。
人は遺伝的要素、環境的要素、個人的努力によって決定づけられると言われていますが、もう一つ誰にも自分自身にも解らない隠れた才能があるように思います。
主イエス・キリストは十字架によって私の罪を贖い、私を解放してくださいました。それによって私の中に閉じ込められ、埋もれていた才能を神様は引き出してくださり、開花させてくださるのです。いや、無から有を生じさせられる神様は、私のうちには無かった新しいものを私に与えて、私を用いてくださるお方です。
「智恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠されています。」(コロサイ2:3)
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8日
☆下関バプテスト教会の門を叩く
私は下関に職を得て、はるばる山形県からやって来ました。母と姉と弟は本籍地の米沢に残っていました。私は毎日聖書を読みました。
はからずも手にした聖書は手放せない日々の指針であり、慰めと力の源となっていたのです。やがて下関バプテスト教会に導かれ、6ヵ月後にバプテスマを受けました。
☆母の求道生活
救われた私は毎日が嬉しくて嬉しくて、いろんな所に手紙を出しました。菩提の和尚さんからは「キリスト教に入ったということだが、先祖の供養は忘れないように。」という手紙をいただきました。祖母からは「良い教えをありがとう。冥土に行ってからゆっくり考えさせてもらいます。」ときました。
母は私が何度も教会に行くように勧めるものだから、重い腰を上げて近くの教会に行きました。そこは米沢興譲教会というところで、田中美男先生が牧師としておられました。しばらくして母が「息子がこんな手紙をくれたのです。」と言って先生にお見せすると、読んでおられた先生の顔色が変わったそうです。
手紙には上野のガード下で路傍伝道者から聖書を手にしたこと、それがなかったら私は今はどうなっていたかわからないこと、神様は、私たちに救いの手を伸ばしておられることなどを書いていたのです。
「野口さん、私です。上野で路傍伝道をしていたのは。浅草、松戸などを巡回していました。今、そのお母さんにこの東北で信仰のお導きをするとはね。」と言われたそうです。それから母の心はとても柔らかくされ、まもなく下関に来てバプテスマを受けました。続いて弟も姉もバプテスマを受けました。
☆寄るべなき者に住むべき家を与え
「神はみなしごの父、やもめの保護者である。寄るべなき者に住むべき家を与え、めしゅうどを解いて幸福に導かれる。」(詩篇68:5)
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1日
「聖書に出会った私」
私がキリスト教の信仰に出会った経緯を書かせていただきます。
以前お話したことではありますが、私が最初にキリスト教に出会ったのは、路傍伝道者から聖書を買ったことがきっかけです。
それは1946年の11月初めの頃でした。日本が戦争に敗れて国中が衣食住すべてに大変な苦労をしていた時です。
私の家族は北朝鮮から一家バラバラに引揚げて来まして、最後に父が博多に上陸したところで力尽きて死んでしまったのです。
それで私たちは遺骨を持って郷里の山形県米沢に向かっていました。上野駅で東北奥羽線を待っていた時、私は何か食べ物を売っていないかと駅を出てアメ横の闇市場に向かったのです。少し行って高架線の下まで来たところ誰かが大きな声で叫んでいました。
それがキリスト教の路傍伝道だったのです。その人が何を語ったか正確に覚えていませんが、「今こそ神に立ち返るべき時が来た。聖書に聞け。」というようなことを言っていたと思います。私の足はそこに釘付けにされてしまい、そしてついに聖書を買いました。
おもしろいことに、その伝道者は「おまけ」と言って英語の聖書もつけてくれました。
こうして私はうまれて初めてキリスト教に触れたのです。軍隊に入っていて自爆テロさながらの特攻訓練に明け暮れる先のない日々を送った後、いきなり世の中に放り出され、頼みの父親を失った私は全くどう生きて良いかわからない状態でした。正にその時私は町を彷徨っていたのですが、そこで聖書に出会ったのですから、正に奇跡としかいいようがありません。神様が人生に行き詰った私を見て哀れに思い、あの薄暗いガード下で伝道者を通して、みことばである聖書に出会わしてくださったのです。
あれから、もう61年になりますが聖書はずっと変わらず、私の生活の道しるべとなってくれました。聖書は私の信仰の基盤です。
聖書には人が求めているもの全ての答えが秘められています。私はすべての人にこの永遠の命のことばである聖書を心からお勧めします。
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