9月2日
9月9日
9月16日
9月23日
9月30日

30日
「新生の場に招かれて」 牧師 山地 明
 
 今朝、私は58年ぶりに若松バプテスト教会に出席しています。
 この度、御教会の主日礼拝に説教者としてご招待いただき、主のお導きと皆様の寛大なお計らいに心から感謝しています。
 私はセブンスデー・アドベンチスト教会の牧師として、盛岡、東京、大阪、広島、福岡、宮崎、カリフォルニア州などの教会で50年間牧師をし、引退後は宮崎県都城市に住み、近くの教会での説教や神学書の翻訳などをさせていただいております。
 私が初めて聖書の教えに接し、キリストによる新生へと導かれたのは、御教会を通してでした。
 昭和24年、若中3年生の時親しい友人であった津田豊美君(吉田叔子さんのお兄様)に誘われて、当時の若松市の公会堂の一室で開催されていた、キリスト教の集会に出席しました。古い荷物の中から色あせた表用紙の当時の日記帳が出てきました。(原文のまま抜粋しますと)昭和24年2月13日日曜日『津田君と二人で公会堂にキリストの話を聞きに行った。今日から毎日曜日と水曜日は行くことに決めた。』/2月16日水曜日『学校から帰って…本屋に聖書を買いに行った』/2月20日日曜日『今日、教会ではギレスビー先生がおいでになって、罪との会見という題で講演された…津田君と一緒にドージャー先生講演のビラを貼って…』/2月21日月曜日『晩方6時半頃から公会堂に行って、ドージャー先生の「信仰は人によらず」という題の講演を聞いた。』/2月23日水曜日『「共産主義の国歌論」(石川準十郎)の話。吉田敬太郎先生』
 栄盛川町の教会堂の集会で思い出すのは「初穂会」です。
 これは高校生らの青年たちを中心にした聖書研究の集いで、吉田潤世さんや岩切健さんら高校の先輩たちが、森川執事さんらと共に開催していた集会です。まだ初心者の私にも聖書研究の発表が割り当てられました。ヨハネ15章の「ぶどうの木の譬え」の研究発表だったと思います。調べるために小石にあった吉田敬太郎牧師のご自宅の書斎にお邪魔して、神学書を見せていただき、発表の準備をしたことを覚えています。
 吉田敬太郎牧師の魂を揺さぶる説教。執事さんや中戸君、楢原君ら高校の友人たちと共に、小さな部屋で車座になって夜遅くまで話し合い、祈ったこと。クリスマス会での楽しい演劇。クリスマスイブ、真夜中に町にくり出して歌ったキャロリング。
 若き日のこれらの思い出を胸に抱き、半世紀を経た今日「みことばに励まされて」の年間主題のもとに信仰の道に励んでおられる皆様の前で、みことばを語らせていただく特権を心から感謝しています。
 皆様の上に主の恵みと平安が豊かに与えられますようにお祈り致します。

「山地 明牧師をお迎えして」 野口直樹

今朝の礼拝に山地明先生をお迎えして説教をしていただきますことを心から感謝申し上げます。
 先生は当若松バプテスト教会のご出身です。同じ頃、もう50年も前になるわけですが、共に信仰生活を励んだ人たちには、吉田潤世・叔子ご夫妻、古川新兄、中戸正義兄、河野静子姉、岡崎さんなどがおられます。また、もと当教会牧師の岩切健・裕子ご夫妻をはじめ、当教会出身者として各地の教会で活躍しておられる方も多くおられます。私も同じ頃、下関バプテスト教会で青年時代を送った者の一人ですが、今も『「その時青年だった」の会』と称して年に一度の集まりをしております。
 その思いを重ねて今日の礼拝の恵みを考えますと「神様、みなさん、ありがとう」と「神様、皆さん教会をよろしく」という言葉が浮かんできました。
 今の若松教会は歴代牧師のお働き、そしてそれを支えてきた信徒たちのお働きによって、今日を迎えているということは誰でも知っているつもりで、なかなか実感できていないことかもしれません。古い人たちの思い出話を単なる懐古趣味と聞き流してしまってはならないのです。そこには神様の奇跡の手が指しのべられている尊い証があるからです。古い人たち、当教会の出身者が常に思っておられることは、今の若松教会の姿です。
 使徒パウロは「わたしの子供たちが、真理のうちに歩いていることを聞く以上に、大きな喜びはない。」(3ヨハネ1:4)と書いていますが、先輩たちはまさにその通りの思いで、この教会のために祈っていてくださるのだということを、一時も忘れないようにしたいものです。
 それは「昔はこうだったから、今もこうすべきだ。」というのではなく「昔はこうだったが、今は更にこのように前進している。」と将来につながる変革を報告できる教会であり続けたいものです。
 先輩の皆様ありがとうございました。神様ありがとうございます。今後もよろしくお願い致します。
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」(ヘブル13:8)

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23日
「いのちの深さ」

 昨年と今年,私は家族の臨終に接して特別な経験をしました。
一つは家内の弟を看取った昨年7月9日のことです。私は「忠之、父ちゃんと母ちゃんのところへいきなさい。イエス様の十字架を信じたら、罪の重荷は取り去られて天国に昇っていけるんだよ。」と耳元で語って聞かせました。
 すると当直の看護師さんが3人飛んで来られました。心臓のモニターが異常を知らせたとのことでした。私は事の次第を話しました。しかし、若い看護師さんたちは「そんなことが」という表情をされました。
 無理もありません。ずっと意識不明でただ心臓が動いているだけという状態でしたから。しかし、私は彼が意識の深いところで福音を聞いて、それに反応したのではないかと考えています。
 今年3月に召天した母にも同じことが起こりました。夜の11時41分に召天したのですが,呼吸は4時間も前に止まっており,心臓のモニターも読み取れなくなりました。家族の者は「宗広牧師がお祈りに来てくださることになっているので,それでお別れということにしよう」と決めました。
 宗広先生のお祈りが終わった時,モニターを見ていた人が何人か「あっ」と叫んだのです。私たちもちらっと見たのですが,ピッ、ピッ,ピッと3回ラインが跳ねたのです。そして、その後はずっと平坦な青いラインが続きましたから,ドクターは他の事項もチェックして臨終を告げられました。母は「さようなら」の挨拶を残して旅立ったのだと思います。
 聖書には「心の深み」(エペソ4:23〈口語訳〉)、「心の霊」〈新改訳〉という表現があります。心は深い深い者です。私たちの側からは、せいぜい心臓のモニターの表示程度しか確かめられないかもしれませんが,命の向こう側からは命の深さがわかるはずです。
 聖書はこちら側のこととしてではなく、命のあちら側、すなわち神様の世界から語っているのです。命の深さは永遠であると。
「神はそのひとり子を賜ったほどに,この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,『永遠の命』を得るためである。」(ヨハネ3:16)

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16日
「敬老の日」

 明日(9月17日)は「敬老の日」です。対象者の方おめでとうございます。
老人を敬い大切にする社会は祝福され,その国は栄えます。聖書も「老人を敬い,あなたの神を恐れなければならない。」と教えています。(レビ19:32)それは「老いた者には知恵があり,命の長い者には悟りがある。」からなのです。(ヨブ12:12)
 ところで、私も敬老対象者になって久しい者ですが「老人」とか「高齢者」と言われると,今でも違和感を感じます。どうしてかと考えるとき「わたしはもとから高齢者だったのではない。高齢者を日々初体験している者なのだ。」という思いが強いことに気がつきました。「生きているだけで毎日新記録」という川柳が新聞に載っていて、なるほどと思いました。
 だからご同輩,そのような思いで毎日を迎えようではありませんか。子供にとって日々が初体験の新鮮なものであるのと同じく、私たちは高齢を初体験しているのです。楽しみではありませんか。
 ところで,若い人たちから大事にされることは本当にありがたいことですが,聖書には「老いた者,必ずしも知恵があるのではなく、年とった者,必ずしも道理をわきまえるのではない。」とも書かれています。(ヨブ32:9)
 若い人たちの意見によく耳を傾けて、自分の経験や考えを検証して,頑固人間に陥らないように気をつけたいものです。イエス・キリストは十字架にかかり,私の罪をあがなってくださいました。この罪の赦しの福音は、全ての人に必要なもので、全ての人が受けることのできる恩寵です。
 こうして、私たちは生ける限り、心明るく、すべてのことを感謝し、人々に少しでもお役に立つことを喜びとして生きていけるのです。
「生れ出た時から,わたしに負われ,胎を出た時から,わたしに持運ばれた者よ,わたしに聞け。わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず,白髪となるまで,あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ,必ず負い,持ち運び,かつ救う。」(イザヤ46:3,4)

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9日
「真の自由」

「イエスは言われた。『私の言葉にとどまるならば、あなたたちは本当に私の弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。』」(ヨハネによる福音書 8章31、32節)
 家内も、母も召されて私一人残されました。一人部屋で「自由だ!」と叫んでみました。すると次の瞬間、涙が止めどなく溢れてきました。
 自由とはなんと淋しく、頼りないものだろうと思いました。そして心を整理してみました。私はもう夫でもなく牧師でもない。一人になった今こそ根本的な関係、神様との関係を考えなければならない。そして「私は神様につながっている自分」を再発見して、平安を取り戻すことができました。
 仙台に行った時,独り住まいの婦人にそのことを話しましたら,「私は何十年もそのようにして過ごしてきました。先生は今,気がつかれたのですか。」とほほえみながら話されたので,私は大いに恥じ入りました。頭ではわかっていたつもりなのですが…?。
 自由には二つの面があると思います。
 束縛から解放される「…からの自由」と、自分の意志で一つの道を選び摂る「…への自由」です。
 この後者の自由を選び取った人が,真の自由人といえるのではないでしょうか。糸の切れた凧は空を自由に飛んでいる,とは言えません。迷走しているだけです。凧は強い糸につながっていてこそ大空を自由に舞うことができます。
 イエス・キリストを信じて,この方に生涯を委ねることは,自分の世界を狭めることでも,束縛されることでもありません。一本の強力な絆によって、自由に生きる恵みを満喫する生活に入ることなのです。
「兄弟たち,あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を,肉に罪を犯せる機会とせずに,愛によって互いに仕えなさい。」(ガラテヤの信徒への手紙 5章13節)

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2日
「私が忘れている時にも、神様は共にいてくださいます」

「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」ヘブライ人への手紙(13:5)
 私の家内は昨年7月15日に召天しました。母は今年の3月22日に召天しました。それまでの数年間は年寄り3人でのグループホームのような生活で、いろいろ学ぶことも多かったです。
 私は母を「日替わりランチ」と呼び、家内を「厚焼き卵」と呼んでいました。それは日々の生活、特に信仰の表現の仕方に特徴があるからです。母は今日は一日讃美をしたり祈ったりしていたかと思うと、翌日は信仰の「し」の字も言わなくなります。和子はといえば無気力、無感動の厚い層に覆われて信仰は底の方に隠されてしまったようでした。
 現役時代の生意気に満ちたあの信仰は、どこに埋もれてしまったのかといぶかしくなりました。しかし、教会のキャロリングの訪問を受けた時など、突然その熱い信仰が炎のように燃えだして、いっしょに讃美したりするのです。もし「讃美の日」に召されたら、家内が聖歌隊の訪問のとき一緒に讃美しながら召天したら、人は「立派な信仰者だった」と言ってくださるでしょう。では、信仰が雲隠れてしてしまった日に召天したら…。
誰でもかっこ良く死にたいと思います。しかし、そうはことが運ばないのが現実です。けれども私は気づかされました。イエス様がこう言っておられるように思えました。「いいんだよ、忘れても。けれども私はあなたを忘れないよ。私はあなたを捨てない。私はそのためにこの地にくだったのだから。」
一日中ソファーにぼんやりと座っている家内が歯がゆく感じる時もありましたが、あの時が彼女に神様が一番近づいてくださった時だったのだと知りました。母は昏睡状態が何日も続いた後に息をひきとりましたが、あの時イエス様がずっと枕元に付き添ってくださったのだと感じています。

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