ガラテヤ人への手紙1:13以降にパウロの自己紹介の告白が記されています。彼はクリスチャン迫害の最中に復活のイエス・キリストに遭遇し、自分の人生の土台がガラガラと壊れていく経験をしました。彼はどん底を経験したのです。人間的な能力、血筋の良さ、誠実さ、頑張り、その他一切の良きものですら、彼を支えることができませんでした。そして、最後に、パウロはこの弱さの極みにある自分に代わって執りなして祈る聖霊、復活したキリストの聖霊に目を開かれたのでした。御霊によって示された経験的な真理は「神は万事を益としてくださる!」といことです。それゆえ、彼は「神は私たちの味方である」と言います。神は、私たちが敵であったときも私たちの味方であった、「私は迫害者でありましたが、神はその時ですら私の味方であり、私の歩む道を備えてくださっていた!」と言っているのです。
揺るぎないパウロの確信、それは「神が、私たちのためにいてくださるのです」ということです。神は私の人生において、万事を益としてくださる。その確信により彼は何ものをも恐れず、弱ささえ恵として受け入れることができました。インマヌエルの信仰です。
十字架は、神の自己犠牲です。神はキリストを十字架に見捨てたのです。放置したのです。神は自分のことを少しも顧みることなく、私たちのことだけを考えているのです。
神は、惜しみなく与えてくださる方です。私たちは弱い。私たちの決意も弱い。すぐに忘れるし、すぐに挫折するし、すぐに躓きあきらめてしまいます。しかし、神はあきらめません。私たちが救われるのは、私の信仰や力ではありません。私たちをキリストから離れさせる悪しき力が私たちを取り囲みます。しかし、神の愛が、神の力が、どのような危機の中にある私たちをも支えるのです。私たちは復活の信仰によって、全てを恵みに変える神をしんじ、喜びと希望に満ちて日々を歩むことができるのです。