わたしたちが信じているのは三位一体の神様です。天におられ全てを支配される父なる神、そして我々が救い主として信じています子であるイエス・キリスト。最後に神の霊であるこの聖霊なのです。私は聖書の区分とこの三位一体の神の役割を説明する時に、旧約聖書は父なる神の時代、福音書は主イエスの時代、そして使徒言行録以降は聖霊の時代だと語ります。その聖霊の時代の幕開けが、このペンテコステの出来事なのです。
弟子たちはイエス様の言葉に従いエルサレムに留まり祈っていた時に聖霊が注がれました。その時に教会が誕生したのです。聖霊が降る前の主の弟子たちの状態は、恐れがあり隠れて語れませんでした。しかし聖霊が弟子たちに与えられると、信仰が前進してイエス様の福音を大胆に伝えていくことができたのです。
この五旬節の日に、およそ120人が一つとなり主が言われた「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」を守っていました。そしてその日は日曜日でした。この120人の一団にいた一人一人に炎のような舌が分かれ現れて留まったのです。一部の人に留まったのではなく皆にとどまったのです。まさにこの聖霊の働きは民主的なのです。12使徒と普通の弟子の違いも男女の違いもなかったのです。主イエスの教えに従って集まっていた弟子たち皆に、天からのしるしとしてこのように現れたのです。
弟子たちはこの聖霊の働きによって大胆にみ言葉を語れました。まさに主イエスが送られたこの働きだったのです。教会はこの神の霊の働きで始動したのです。そしてその働きは、与えられた人の限界を越える神の力です。自分の思いではなく、みことばに自分を譲り、その人は変えられて、神の働きへと導かれるのです。教会はまさに、この聖霊の力で自分の思いを越え、神実現の場として導かれるのです。私たちにもこの聖霊の働きが豊かにあるのです。