本日は2025年最初の礼拝となりました。1月1日は若松キリスト教連合の教団若松教会で元旦礼拝、午後には北九州地方連合のシオン山教会で新年礼拝を連合の方々共に捧げることができました。

本日の聖書箇所の背景は、ヘロデ大王が思いがけず東方の学者たちの訪問を受けたことです。その後学者たちは、ヘロデが祭司長たちから聞き出したメシアの出生場所に行き、そこでイエス様と両親を尋ねて贈り物をしました。マリアとヨセフは嬉しいひと時を過ごし、博士たちが帰った後眠りについたのです。その夜、主の天使がヨセフの夢に現れ、起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げることを勧められました。父ヨセフは悩みつつエジプトに逃れました。その間に二才以下の男の子が殺されてしまったのです。

ヘロデが死んで、もう大丈夫だと言われて戻ったら、次も悪い王様で、最終的にはガリラヤにまで行くことになったのです。エジプトに行くことも、エジプトから出ることも試練でした。さらにイエス様がナザレに帰っただけではなく、まことの王であるメシアが首都エルサレムでなく、辺鄙(へんぴ)な地ガリラヤに追いやられました。これらのことは人間の罪の現実が悲惨を生んだのです。この悲惨な只中に、救い主イエス様が生まれたのです。

私たちは、このヨセフの信仰に学びたいと思います。私たちに置き換えるならば、‘聖書で語られる神様の言葉が自分に語られていることだ’と気づくのかということです。それは日々聖書のみことばに聞き、祈って神様との関係性を保っているなら、聖書で自分に語られていることがよくわかるのです。人間関係でも相手のことを知りたいなら、話しを聞くことが大切です。そうしていると相手の話しのテーマが見えます。いつも祈り、聖書を読む時に、これが何を意味するのかと問いかける習慣があると、それがいざと言う時に神のみ心を知り易くなるのです。