イエス様の弟子たちは、イエス様とともに約三年過ごしてきました。しかしイエス様の言葉について、最終的な悟りは開かれていませんでした。弟子たちには旧約聖書の知識が十分あったでしょう。しかしイエス様の教えと旧約聖書の教えについては、弟子たちは同じと思わず、乖離があると思っていたのです。

イエス様は「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」とあります。ここにある心と言うギリシア語の単語は通常、理性と訳されることが多いそうです。理性とは理解することで、分かるということです。ある人は心が開かれるためにはこのようだと言っています。それは「自分のこだわりに引きずられるのでは、心が開かれない。そこから解放されないと心が開かれない」と。心が開かれるのは、簡単にできるわけではありません。弟子たちが聖書を悟るためには、イエス様によって心を開かれる必要があったのです。わたしたちも同様です。

使徒言行録10章で、ペトロはローマの百人隊長のコルネリウスと出会いました。彼はユダヤ人ではありません。その前にペトロは神様よりユダヤ人以外を清くないものとして見るなと示されていました。つまりグローバルな視点の大切さを教えられたのです。それでペトロは心が開かれて、ユダヤ人でないコルネリウスの家に集っていた人々にも福音を伝えられたのです。

本日の聖書を通してイエス様が私たちの心を開いて、聖書を通して語られる、神様の希望や救いを得ることを知りました。なかなか聖書を悟ることは難しいです。自分にこだわりすぎて、神様の真理を得ることが難しいのです。しかしイエス様は私たちに熱い思いをくださり、聖霊という神の力を与えることができます。私たちの心をイエス様によって開いていただき、熱い思いが与えられるのです。そしてイエス様を救い主と信じ、聖霊の力を受けて、いままでできなかったことをさせていただきましょう。