なぜ鷲(わし)なのかを調べたところ、実はイスラエルの国鳥が鷲なのです。詳しく言うとシロエリハゲワシです。この鳥はイスラエルや近隣のゴラン高原やネゲブの砂漠に生息しています。イスラエルにとって、鷲は強さや速さを表し、神の介入も意味するそうです。出エジプトの際に、神はイスラエルを鷲の翼に乗せて運んだとされています。

この40章では、イスラエルの民がバビロン捕囚という長い苦難の中で疲れ果て、神様が自分たちを見捨てたり、関心を持っていないと感じていました。「わたしの道は主に隠されている」というのは、先が見えない苦しみを抱え、希望がない状態です。わたしたちも苦しみの時、先が見えないような思いをしたことがあるでしょう。また今そのような思いをされているかもしれません。光が見えず、暗闇が続いているように感じるのです。

神様は時も空間も超え、全てを創造されました。そのことが分かると、マリアの処女懐妊やイエス様の復活も理解できます。それは宇宙のすべてを造られた方であり、命を与えられた方であるならば、処女マリアの胎内でイエス様の命を与えるのは容易です。イエス様が死んでも、全宇宙を創造し、全ての命を作られた神様なら、イエス様の復活もできるからです。神様は疲れず、英知も計り知れません。神の知恵は測り知れず、人間が理解できない方法で歴史と人生を動かしておられるのです。

鷲は上昇気流に乗って羽ばたかずに舞い上がります。これは、自分の力で頑張るのではなく、神様が与えてくださる力に身を委ねるという信仰的な生き方を意味します。「待ち望む」とは神の時を信じて耐えることで、神の力に信頼して歩みを止めないことです。この箇所は、自分の限界を感じた時にこそ、永遠の力を持つ神様を仰ぎ見て、信仰をもって主を待ち望むなら、日常生活の中で新たな力(信仰、希望、愛)が与えられることを約束しています。主に祈り、全てを委ねましょう。