本日の聖書箇所は、徴税人ザアカイのストーリーです。子どもたちにも親しまれる有名なところですが、福音の本質が描かれています。私たちはここから、背の低いザアカイが木に登ってイエス様を見たという場面に目を向けがちですが、ここの中心は、ザアカイがイエス様を見たことではなく、イエス様がザアカイを見つけられたことにあります。

ザアカイは徴税人の頭であり金持ちでした。しかし彼の心は満たされていません。3節の「見ようとした」という言葉には、「熱心に求める」という意味があります。彼は単なる好奇心からではなく、イエスとはどのような方なのかと真剣に求めていました。コヘレトの言葉3章11節には、「神はまた、永遠を思う心を人に与えられた」とあります。人は知らず知らずのうちに神を求めています。

イエス様は木の上のザアカイを見上げ、「ザアカイ、急いで降りて来なさい」と声をかけられました。ザアカイがイエス様を見つけたのではなく、イエス様がザアカイを見つけられたのです。しかもイエス様は彼の名を呼ばれました。神は私たちを群衆の一人としてではなく、一人ひとりを名前で知っておられます。

その後、ザアカイは大きく変えられました。「財産の半分を貧しい人に施し、不正に得たものは四倍にして返す」と宣言したのです。しかしその変化は、まずイエス様がザアカイを受け入れ、愛されたからでした。福音とはわたしたちが変わったら神様に愛されるのではなく、神様に愛されたから変えられるのです。

イエス様は最後に、「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」と言われました。私たちも神を求めて礼拝に集いますが、その前に神が私たちを求め、捜しておられます。私たちも今日、「主に見つけられた者」として歩んでまいりましょう。来週28日の奥村敏夫先生を招いての特別礼拝が祝福されるよう祈りましょう。