今日はイエスの愛弟子のペテロという人物についてお話ししましょう。彼は他の誰よりも主を愛していました。その証拠に主が逮捕された時、他の弟子達がみんな逃げてしまった時、彼一人だけは勇気をもって裁判所の中庭までやって来て心配で見守っていました。ところが突然の女中の一声が彼を死の恐怖につき落したのです。「この人もあのイエスと一緒に居ました」彼は動転し、思わず「そんな人は知らない」と否定しましたが、そんな事が三回あった時、突然ニワトリが啼きました。彼はハッとしてあの言葉を思い出したのです。「あなたはニワトリが啼く前に三度私を知らないと言うであろう」と以前主イエスが予告しておられたからです。その瞬間、彼は思わず捕えられているイエスの方を見ました。何とその瞬間、主もペテロを振り返って見つめておられたのです。このイエスの眼差しは、怒りではない。あきらめでもない。ペテロの弱さや臆病さを知った上で、その眼は何かを語っておられる。主は「ゆるし」と「いつくしみ」を持って、「ペテロよ、おまえが裏切ることは知っていたよ。でもおまえの信仰がなくならないように祈ってるよ。そしておまえが立ち直った時には他の弟子達を力付けてやりなさい。」とその眼は語っておられる。ペテロは庭から外へ出て激しく泣いたとルカ22:62は伝えています。多くの聖書学者は「これは自分の弱さと醜くさに対する号泣だった…」とコメントしていますが、私は全く違う!と思いました。自分の弱さや限界を知っておられる主が三度も裏切ったにも拘らず、むしろ尚もこんな不甲斐ない自分を救い、用いようとされているメッセージをそのいつくしみの眼差しは伝えて下さっている事、その測り知れない愛に触れた涙ではなかったでしょうか?
彼はこの後、生れ変ったように、度重なる迫害にも耐え、生涯福音を伝え続けました。このまなざしは今も私達一人一人に注がれています。
