本日の箇所は、測れないキリストの愛を語る新約聖書で壮大な祈りの一つです。パウロは囚人の身でありながら、自分の解放ではなく、教会がキリストの愛を深く知ることを願い、ひざまずいて祈りました。そしてパウロは神様が私たちの‘内なる人’を強めてくださることをも祈りました。

イエス様は一時の客人としてではなく、私たちの心に‘住まう’お方です。「愛に根ざし、愛に立つ」とは、植物の根と建物の土台という二つの比喩であり、どちらも見えない部分こそが人生を支えることを示します。

18節でパウロは、キリストの愛を「広さ・長さ・高さ・深さ」という四つの次元で語ります。なぜ大きな愛と一言で言わず、あえてこれらの四つを挙げたのでしょうか。人間の言葉では言い尽くせない神の愛を、一方向だけでなくあらゆる方向へ無限に広がるものとして表すためです。広さはユダヤ人も異邦人も受け入れられる愛、長さは永遠に続く愛、高さは罪人を神の子として引き上げる愛、深さは最も低いところまで降られたキリストの愛です。この四つの愛は古来より、十字架の形と重ね合わせて理解されてきました。横木は東西南北へ広がる愛、縦木は天から地へ降られたキリストを思わせます。キリストの愛を一人ではなく‘すべての聖なる者と共に’理解し、教会の皆の様々な証しを通して、少しずつ知らされるのです。

そして人間の知識をはるかに超える神の愛を、頭の知識としてではなく人格的な交わりを通して知ることが祈られています。

パウロ自身、迫害の中で神の愛を経験し、ローマ信徒への手紙8章で「何ものも神の愛から引き離せない」と告白しました。祈りは最後に賛美となり、神様は私たちの想像をはるかに超えて働かれる方として讃えられます。子どもたちが十字架を指して‘これくらい愛されている’と知るように、私たちも、この神様の測れない愛に根を下ろし、日々教会と共に感謝しながら歩みましょう。