ここは、‘それぞれの持ち場’という視点から教会の一致を語ります。パウロは、神に招かれた者として、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持って歩むよう勧めます。それはオーケストラで各楽器が自分のパートを忠実に演奏して初めて美しい音楽が生まれるように、教会も多様な人々が互いに違いを認め合いながら一つとなるのです。そのために鍵となるのは寛容な心で、相手とも関係を保ち続けることです。それを可能にするのは、自分もキリストの十字架によって赦されたことに立ち返る意志です。

その赦し合う力の源は、エフェソ4章32節「神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい」にあります。その人を赦す葛藤の中で、私たちはイエス様の十字架を身近に体験するのです。

一致には喜びも伴います。スポーツチームは互いに信頼し、力を合わせると勝利を味わえます。教会も本当に立ち向かうべき相手は、不信仰と一致を壊そうとするサタンの誘惑ですが、それに共に立ち向かう時大きな喜びを味わうのです。

パウロは4節から「体は一つ、霊は一つ」など七つの一つを語り、教会が一つの体であることを強調します。7節の賜物は、一人一人に異なる形で与えられた恵みであり、優劣はありません。教会には礼拝奉仕(宣教・司会・奏楽・週報・受付など)、総務・会計・伝道教育などの各委員会、全年齢層の教会学校、祈祷会、執事会など多くの持ち場があります。表に立つ働きも、人知れず支える働きもあり、共にキリストの体を造り上げるために不可欠です。

体をつなぐ関節の働きもあります。それは、悩みに耳を傾けることや、一本の電話や手紙など日々の小さな関わりを指すのです。この小さな関節の積み重ねが教会という体を支えるのです。持ち場は交わりの中で少しずつ示されます。皆が自分の奉仕を見出し、互いに赦し合い、愛によって建て上げられる教会となりましょう。