戦争は遠い出来事ではなく、世界では今も争いが続いています。聖書は、戦争を国家間の争いである以前に、人間一人ひとりの心にある「敵意」が拡大した姿として捉えます。パウロは力強く「キリストはわたしたちの平和です」と宣言します。平和とは単に与えられる何かではなく、キリストご自身が平和そのものなのです。
以前は神から遠く離れていた私たちが、キリストの血によって神に近い者とされました。これは放蕩息子が父のもとへ迎え入れられた姿に重なります。私たちの努力や善い行いによってではなく、神ご自身がイエスを遣わし、十字架によって隔てを取り除いてくださったのです。ここに、真の平和の出発点があります。神との平和を失うと人との平和も失われますが、神との和解を得た者は、その平和を周囲へと広げていくことができます。
かつてエルサレム神殿には異邦人を締め出す「隔ての壁」がありました。同様に、私たちの間にも多くの見えない壁があります。しかしキリストは、その壁である「敵意」を、十字架によって滅ぼされました。憎しみに力で対抗するのではなく、「父よ、彼らをお赦しください」という祈りをもって、愛により敵意を無にされたのです。復活後、イエスは弟子たちに「あなたがたに平和があるように」と告げ、神との和解が完成したことを宣言されました。
神との関係が回復される時、人との関係も少しずつ変えられていきます。教会は平和を語るだけの場所ではなく、平和が生まれ、そこから世に遣わされていく場です。小倉が原爆の第二目標であった歴史や、多くの戦争体験を思い起こしながら、私たちは「二度と悲劇を繰り返してはならない」という祈りを新たにします。人は自分の力で敵意をなくすことはできませんが、キリストにより赦された、また神に愛された者として、赦しと和解を日々の歩みの中で実践していく者でありたいです。真の平和はイエス様ご自身にあるのです。
