パウロは「神に倣う者となりなさい」と勧めます。倣う者とは、幼子が愛する両親のそばにいて自然と、その歩き方をまねるように、神との親しい愛の関係の中でキリストを模倣することです。キリストがご自分を‘香りのよい供え物’として献げてくださったように、私たちの信仰の歩みも、教会生活や家庭の食卓など日常のあらゆる場でキリストの香りを放っています。軽快な話しや下品な冗談が他者を傷つけるに対し、パウロは隣人に与える言葉の影響の大きさを教え、汚れた言葉ではなく感謝を表すように促しています。

聖書は光の子になりなさいではなく、「あなたがたは…(すでに)光となっています。光の子として歩みなさい」と告げます。まず努力して光になるのではなく、キリストに結ばれたことで、すでに光とされたという恵みの事実が先にあるのです。それは良い子になったら愛されるのではなく、愛されているから良い子になるという順番こそが福音です。リンゴの木が、その性質に従って自然に実をつけるように、私たちのみ霊の実は、神から来る光という新しい性質から自然に結ばれるものなのです。

「暗闇の業…明るみに出しなさい」とは、自分の正しさを示して他者を裁くことではありません。暗闇で苦しんでいる人の足元をそっと照らし、行く先を見出せるように寄り添う優しさです。暗闇は光に照らされることで裁かれて終わるのではなく、光の側へと変えられていくのです。そして、「起きよ…立ち上がれ」との呼びかけは、罪の中にいた私たちにキリストの復活の力で立ち上がらせてくださる恵みを示しています。

光の子として歩むとは、自力で光を作り出すことではなく、すでに光とされた事実に感謝して、その光を自然に放つことです。それは幼稚園の子どもたちだけではなく、私たち大人もキリストの光に照らされ、「起きなさい」と呼びかけられている光の子なのです。