洗礼(バプテスマ)式は、自らの意志でキリストを救い主と告白し、神の家族の一員として新しい一歩を踏み出す日です。同時に既にバプテスマ(洗礼)を受けて歩む私たちにとっても、受けた恵みの原点を思い起こし信じる幸いを再確認する喜びの時でもあります。

本日私たちが心に留めるみ言葉は「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」(ヨハネ11:25–26)という宣言です。兄弟ラザロを失い絶望の中にいたマルタに対し、イエス様は命の根源である天と地を造られた創造主なる神であり、死の壁を打ち砕く存在であることを示されました。

主が与えてくださる永遠の命とは、朽ちる肉体の命を超えた神ご自身の命、ギリシア語の‘ゾーエー’です。「決して死ぬことはない」という言葉にはギリシア語の二重否定が用いられ、天地が消え去ろうとも揺らぐことのない絶対的な救いの保証が約束されています。イエス様に結ばれた者にとって肉体の死は滅びではなく神への門であり、再臨(イエス様が再び地上に戻る)日に、朽ちない栄光の体へよみがえる希望があります。また、信じた瞬間から‘死から命へと移っている’ため、神の愛から引き離される霊的な死を味わうことはありません。

バプテスマ(洗礼)の水は古い自分の墓を意味します。罪に縛られていた古い自分をイエス様と共に水に葬り、引き上げられることでキリストの復活の命にあずかり、全く新しい者として生まれ変わるのです。いかなる試練の中でも、イエス様の永遠の命が与えられ、その土台は揺らぎません。

イエス様はマルタに「このことを信じるか」と問われ、彼女は「あなたが神の子、メシアであると信じます」と即座に答えました。この信仰告白による永遠の命の祝福は、死後だけではなく、信仰者の日々の歩みにおいても力強く働くのです。