このヘブライ人への手紙の特徴の一つはイエス様を大祭司という視点から見ています。ユダヤ教の大祭司は、神と民の仲介者として年に一度、贖罪日に至聖所に入り、まず自分のための罪の贖いを家畜の血を携えて行います。次に自分に罪がないものとして、全イスラエルの罪の贖いを同様に行いました。
一方のイエス様は、まことの大祭司として人間を代表して、神と和解させました。その方法は、ご自身の命(血)を一度だけ捧げ、すべての罪を十字架上で永遠に贖ったのです。その天の姿は、天の至聖所で全ての者のために神に執り成す(とりなす)大祭司でした。イエス様は人間としての弱さや試練を経験し、私たちを深く同情して助けられたのです。そして旧約聖書の律法ではなく、より優れた新約の約束に基づき福音の保証人となられたのです。
ここではイエス様を、どのような方と説明するためにモーセと比較しています。モーセはイスラエルの民をエジプトの苦難から救い出すために神により遣わされました。その出エジプトの旅を続ける民を2節で‘神の家’と呼んでいます。つまりモーセにとっては、イスラエル人たちが神の家なのです。
その一方、イエス様はわたしたちを‘神の家’と呼ばれます。イスラエル民族は同族の血が流れるので家族だと理解しやすいです。しかし、わたしたちは、この教会に集う前はそれぞれ違う所にいて、血縁関係もありません。神様は、そのようなわたしたちを、この教会にまるで家族のように集めてくださったのです。
私たちが神の栄光を現すことができるためにも、聖霊が私たちの内に住んでおられるのです。私たちがイエス様に依り頼む時に、聖霊は私たちを助けてくださり、その歩みの原動力となってくださいます。そのように何もできない私たちが、聖霊の力によって用いられたときに、「私たちの」ではなく「神の」栄光が‘神の家’として現されるのです。
