本日の聖書箇所で「民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、…民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい。」とあります。
21-22節で「後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには、子供たちに、イスラエルはヨルダン川の乾いたところを渡ったのだと教えねばならない。」とあります。その時こそイスラエルの民が経験した大きな信仰を伝えることができるのです。
ではわたしたちにとって今日の‘しるしの石’にあたるものは何でしょうか。それは、ストーリーを思えば、わたしたち一人ひとりが持っている信仰的な証しではないでしょうか。皆様はどのような証しをお持ちでしょうか。それは次世代を導く杖になるのです。
ユダヤ人は、過去の体験から教訓をしっかりと受け継ぐ民族です。ユダヤ人の祭りがそうです。他の祭りと違うことは、喜ぶだけではなく、それに込められている教訓から学ぶのです。それは勝利のようなことばかりではなく、悪いことや失敗のから得た教訓を、その祭りの中で儀式化して学んでいるのです。
それは私たちにも必要なことです。私たちも信仰的な記念を覚えなければなりません。主がなしてくださった、その恵みの数々を思い起こし一つ一つを心に刻まなければならないのです。かつてあの時に、あのようにすごい恵みと祝福を与えてくださり、様々な困難に対しても、その都度乗り越える力と平安をあえてくださったと。それを次世代に伝えるのです。
詩篇103篇2節に「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(口語訳)とあります。主の恵みを心に刻みましょう。わたしたちの石塚はキリストの十字架です。いつも主の十字架から目を放さずに過ごしましょう。
