わたしたちは自覚していても、いなくてもキリストによって変えられています。だからこそ礼拝に出席できるのです。ところで皆様は、キリストによって大きく変えられた人物の中で誰を思い出しますか。
聖書の人物として、キリストにより大きく変えられたのはパウロです。彼は熱心なユダヤ教徒で彼のユダヤ教の師匠はガマリエルでした。いわゆる黄金律を提唱したのがガマリエルだと言われていますが、実はガマリエルの祖父ヒレルのようです。
パウロはかつてキリストの迫害者でした。しかし彼は、そのような者だったのにキリストが自分を強くしてくださったと語ります。自分を迫害した者を強くしてくれる人は、なかなかは考えにくいです。しかしイエス様は、パウロにそのことを行なってくださった愛の方であり、懐が大きい方です。さらにキリストはパウロを忠実なものとみなしてくださったのです。このみなしてくれるということがキーワードです。本当はそうではないのに、そのように見てくださったからです。
パウロは「わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しに」なったと語ります。イエス様の十字架が究極の忍耐の姿です。キリストの十字架上での祈り「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」という赦しと、とりなしの祈りをしてくださいました。普通だったら自分に死を与える人のために祈りません。その許しの祈りにパウロも含まれていたのです。
神様は現実のわたしたちを見るのではなく、イエス様によって変えられた姿として、みなしてくださるのです。その大きな懐と愛に感謝しましょう。わたしたちにも主の恵みがキリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられますように祈りましょう。そして永遠の命を得ようとしている人々の手本となれますように導かれ、いつも神様に感謝な思いを捧げましょう。
