命どぅ宝とは、沖縄語で「命こそ宝」という意味です。沖縄の歴史を振り返りますと江戸時代の薩摩藩の侵略や琉球処分、そして20世紀からの本土防衛に伴う地上戦、差別、米軍統治、本土復帰、米軍基地問題などがありました。

6月23日は沖縄戦の戦没者を慰霊する日です。日本軍の組織的抵抗が終結した日ですが、残された兵約3万人と、住民約8万人は命令で放置され米軍の攻撃にさらされ続けました。そのアメリカ軍は4月1日に沖縄に上陸してから沖縄で攻撃し続けたのです。実際沖縄戦は本土決戦に備えての捨石でした。日本軍は住民を守るどころか、食糧を略奪し、スパイ容疑で住民を殺害し、住民に集団強制死を強要したのです。

主イエスは辺境の地ガリラヤで育ち成長され、公の生活になるまで過ごされました。今日私たちが覚えている沖縄のような場所がガリラヤであったのです。そのエルサレムから遠く離れた地で、主イエスは生活されていたのです。

この主イエスが育ち、さらに活動された地とは歴史的に見て、敵国から何度も攻め込まれ占領された場所です。そこで主イエスは育ち最初の公の活動をされたのです。我々が沖縄を思う地理的な場所と、主イエスの活動の地ガリラヤが重なるのが分かるでしょうか。

エルサレムの人々から見るとカファルナウムとかは田舎であり、「あんなところにメシアが現れるはずがない、暗黒の地」だと思われていた場所です。しかし主イエスはまさに神の導きを得て、人々にそのように思われていた地に、住み活動されたのです。主イエスは、その地の人々にまず福音を伝える活動を神の愛に導かれてスタートされたのです。

そして主イエスの第一声は「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言われました。主イエスであるメシア(救い主)が来られたことにより神の国が近づいた、もうそこまで来ていると説教されたのです。だからこそ悔い改めよとおっしゃったのです。