本日の聖書箇所は‘種をまく人’の例えです。我が家の子供たちが小さい頃に私は毎晩「小さな小さな聖書の話」と言う本を読み聞かせました。その一話がこれでした。その時「人にとって良い地とはどういうことか」また「どのように人が良い地となることができるか」とも考えていました。その良い地になれた結果が実を結ぶことであり、その実がマルコの福音書によりますと「三十倍、六十倍、百倍にもなる」とのことです。

私の実家は兼業農家で、父は市役所に勤めながらも、米や野菜を作り、その大変さを見ていました。そして農業には忍耐が必要だと感じました。米を育てるために、出勤前の朝と仕事を終えて自宅に戻る前に必ず田の水を見に行きます。台風や嵐が来ると雨風が強い中でも、田の水の様子を見に行かなければいけなかったです。私は農業はしたくないと思いました。

先日折尾愛真高校で特別伝道集会の協力牧師として関わりました。最初に宗教主任の先生が集った11人の牧師たちに、日頃生徒たちへは、みことばの種まきをしていますし、色々と聖書を語って心が耕されていますと語っておられました。その言葉を聞きながら、「ああそうか、み言葉によって人の心の地は耕されているのだ」と思いました。

牧師はイエスさまと教会と皆様に仕えておりますが、その時に問われるのが忍耐です。皆様も信仰を守り、また伝道するには忍耐が問われています。それは教会が何年も頑張っているのに、なかなか成果が出ないし、結果が現れないからです。しかし私たちは、み言葉によって勝利を信じ続ける必要があるのです。キリストの十字架は一見敗北です。しかしそれは勝利への道筋でした。そしてキリストは復活され勝利されたのです。キリストは死ぬまで忍耐尽くされたのです。我々にまかれたみ言葉の種が、根を出して、芽が生え出て成長し、忍耐を尽くして実るのです。み言葉の勝利を固く信じて行きましょう。