今人々が多くの不安を覚えて、聖書の言葉によって支えられたいと願っています。そして聖書のみ言葉を検索し、本日のみ言葉を見つけて心の支えとしております。このみ言葉は新約聖書ではなく、旧約聖書です。しかし人々はこのみ言葉を心の支えとしているのです。もちろん新約聖書の光をこの旧約聖書の言葉に照らしています。

イザヤ書は聖書全体の構成と似ていて66章あり、前半は39章で、後半は27章です。そして後半は慰めの言葉が多いのです。旧新約聖書は最初の39巻が旧約聖書で、後半の27巻が新約聖書なのです。

我々は自分自身が弱く、何もできないと思ってしまうことがあります。この14節にある虫けらのように、自分自身を思ってしまうのです。創世記のヤコブも、兄の祝福を父から奪ってしまい、兄から命を狙われ、母の故郷に逃げようとした時は希望がありませんでした。しかしこの情けないヤコブを神様は助けられたのです。21年後ヤコブが神様に導かれて故郷に戻る時は全く違う心境でした。それは神が共にいてくださったからです。

そのように神はヤコブを脱穀機のように力強い者に作り変えられ、山も丘も越えられるような人へと導かれたのです。つまり人生の山や丘を越えられるように作り変えられたのです。不可能と思える障害物を神は取り去られました。

イエス様は天に戻られる前に弟子たちに言われました。エルサレムに留まりなさいと。その言葉に押し出され、共にいた弟子たちに、神の聖霊がとどまり力を得たのです。そして大胆にイエス様を人々に証ししていきました。我々も以前の弟子たちのように弱くとも、イエス様の言葉に押し出され、共に集まることで聖霊の力を頂き、力を受けられるのです。

我々と共に主なる神様はおられます。共に礼拝し、祈り、学び合うことで神は我々に力を与え希望を与えられるのです。諦めてはいけません。これからも共にイエス様を見上げようではありませんか。