バプテスト教会は幼児洗礼を否定しました。それは生まれたばかりの赤子に洗礼を施すことにより、その子が自動的にクリスチャンになるのことを拒否したのです。それは生まれてきたその子供が成長し、自分の意思で主イエスを救い主として信じることなくしてはクリスチャンにはなれないということをバプテスト教会は主張したのです。だからこそ、バプテスト教会は次世代に対してしっかりと主イエスの教えを伝えていかなければいけない教派であり、その責任が神様より委ねられているのです。

イギリスにおける初期バプテストが作成しました信仰告白には、教会の会衆制のためには、教会員が聖書を学び続ける必要性が書かれております。そうではないと教会が衆愚政治に陥ってしまう危険性があると指摘していたのです。

ここでイエス様はヨナの言葉を通して、ニネベの人々が悔い改めたことを語ります。その後神の裁きは中止され、ヨナは敵国民のニネベの人々が裁かれないないことを怒りました。ヨナは純粋に語っていなかったのです。ヨナがそう感じるほどにニネベの人々は素直に神様に悔い改めたのです。その心の柔らかさをニネベの人々は持ち合わせていたのです。

またイエス様が語る南の国の女王とはシバの女王です。遠い地域からはるばるソロモンの知恵を聞きに来ました。そしてシバの女王は、ソロモンの知恵ある言葉に驚き、膝をかがめたような謙虚さを持っていたのです。

つまりイエス様は群衆に向かって、ニネベの人々のような心の柔らかさ、またシバの女王が素直に膝をかがめた謙虚さを持っていますかと問われました。そしてイエス様ご自身は、このソロモンやヨナにまさるものだと宣言したのです。興味深いのは、裁きの日に、この聖書の時代の人々を罪に定めるのは、このニネベの人々だと言うのです。なぜならば「ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである」と。教会学校で共に学びましょう。