マリアはナザレ周辺に住み、親戚であるエリサベトはエルサレムに近い山里に住んでいました。マリアとエリサベトの年齢は姪とおばさんくらい違っていたでしょう。このエリサベトのいる山里めがけて、マリアは急いで出かけました。と言うのも、マリアの実家にはいられない思いがあったのです。み使いがマリアに大きな出来事を知らせた時、エリサベトのことも語っていました。み使いの言葉でマリアは説得されたのですが、年齢を重ねたエリサベトの妊娠の姿を通して確かめたかったからです。
45節でエリサベトは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」と歌いました。これが本日の主題です。エリサベトの夫は祭司でありながら、主の使いである天使を通して語られた神の言葉を信じることができませんでした。しかしティーンエイジャーのマリアは、主の使いである天使を通して語られた言葉を信じることができたのです。マリアにとって危険がある言葉なのにそれを受け止めました。なんという皮肉でしょうか。私たちも主の言葉をいつも信じることができるように気を付けましょう。
しかしマリアは神を信頼しても不安は残ります。マリアが天使を通して語られた神の言葉を信じても、その時点での賛美は記されていません。ここに至るまで、エリサベトの賛美も記されていません。賛美が歌われたのは一人の時ではなく、二人が出会った時です。共に喜びあった時に賛美が生まれたのです。これこそが教会の姿ではないでしょうか。信仰者一人だけだと喜びきれないけれども、二人だと共に喜び合えるのです。共に集まって神の言葉の確かさを認め合えるのです。教会とはそのようにお互いに助け合うところなのです。
教会のクリスマスが主に導かれ、励まされて、力を頂きながら共に歩んでいきましょう。
