皆さんは結婚式に参列する時に注目する場面はどこでしょうか。それは人によって違うのかなと思います。例えば新郎新婦の服装だったり、入場や奏でられる音楽だったり、結婚式を終えてのライスシャワーなど色々と考えられます。牧師として大切に思うことは二人が愛を誓う場面です。ある説教者は、結婚式の誓約の場面で、感情による愛から、意思による愛に変わると考えています。それを神と会衆の前で誓うのです。
聖書にはギリシア語で4つの愛があります。一つは友情の愛であるフィレオー。2つ目は男女の愛を現すエロス。3つ目は家族の愛を表すストルゲです。この3つともどちらかと言うと感情が優先する愛です。この3つに対して神の愛であるアガペーの愛は感情を超越し、自分がどのようになろうとも、その人を愛することです。それがイエス様の十字架の意思的な愛です。
この13章で愛と訳されている言葉は全てアガペーが用いられています。これこそがキリストの十字架の愛なのです。それは相手が受けるに価しなくても、惜しみなく注がれる愛なのです。ローマ5章8節には「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」とある通りです。
13節のみ言葉は「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」とあります。神の愛にとどまり、愛に応えるということは、わたしたちの人生においてすでに始まっておりますが、死を越えて永遠に続くものとなりました。神の国は、永遠に神をほめたたえ、神を愛するという歩みとなるのです。カルヴァンは「信仰と希望が自分の利益のためのものであり、愛はその恩恵を他者に及ぼすものだ」と語りました。
愛は感情ではなく意思です。神から頂いた愛を隣人のために用いましょう。
