イエス様がぶどうの木で、神様が農夫です。そして、われわれはぶどうの木の枝です。ぶどうの枝がぶどうの木とつながっていないと実を結ぶことができないように、わたしたちもイエス様につながっていないと実を結べないのです。私たちの実とは何でしょうか。それはガラテヤ信徒への手紙5章22-23節にある「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制で」、その実は9種類あります。
ではどのようにしてイエス様とつながれるのでしょうか。それはイエス様とコミュニケーションを持つことです。まず聖書のみ言葉、特に福音書を知ると、イエスさまは何を語っておられるのかがわかります。そして我々からイエス様に祈りで、イエス様に自分の思いや考え、不安や喜びを伝えることができます。そのコミュニケーションの積み重ねで実を結ぶことができるのです。
イエス様につながれば、自分勝手に自分の欲望を満たすようなことや、他人を陥れるようなことは望みません。むしろ隣人の益になることを望み、神様の栄光を現すことを求めるのです。もしそうではないのなら、イエス様につながっていないと考えるべきです。
イエス様も神様の愛が与えられ、わたしたちにも、そのイエス様の愛が与えられました。それがイエス様の十字架です。そのイエス様の愛に留まり、イエス様がどのように人々に仕えられたのか、その姿に学ぶのです。わたしたちも隣人に仕えるのです。イエス様は「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」と言われました。
イエス様がぶどうの木で、神様が農夫です。われわれはぶどうの木の枝としてみ言葉に預かることができます。日々イエス様につながり、手入れをされ、時には枝を折られながらも、わたしたちを整え導いてくださいます。そしてみ霊の実を結ぶことができますように、主に導かれましょう。
