「求めなさい」と主イエスは言われます。これは命令形です。絶えずそのことを行うようにと思いのこもったイエスさまの言葉です。これに続く「探しなさい」、「門をたたきなさい」も命令形です。この3つの言葉は一体何を意味しているのでしょうか。わたしは、これらの言葉が、神への強い思いを込めての祈りだと思います。皆様はどう思われますか。
さらに、この3段階が、神の真理を求める順番だと思うのです。まずは「求めなさい」です。次になくしたものを「探しなさい」です。それでも駄目だったら、閉じて鍵のかかっている戸をたたくように、「たたきなさい」なのです。聖書に不正な裁判官を動かした、切実に激しく求めたやもめの例えがあります。そのような思いを祈りにおいて神に求めるのです。このあきらめない態度、気持ちが祈りにおいても大切なのです。そのあきらめないというベースは、常識を超えておられる神に対しての我々の信頼です。
神の視点は俯瞰的です。鳥が上空から我々の将来の道のりを見渡せるのが神の視点です。神は我々に何が必要で、何が必要でないかがわかるのです。祈っても与えられない時は、神の目から見て我々に不必要な時です。あるいは与えられるのが、今ではないのかもしれません。いずれにしても最後は神の配慮に信頼を置くべきなのです。
そのもがきや葛藤を通して、神様は我々を恵みの只中へと引き入れられるのです。我々の祈りを聞いておられるのは、天にいますわれわれの父です。父は良い贈り物を子にするからです。父は子供を生かすのです。子供以上に親は子供に何が必要か、何を贈ったら良いかを知っているからです。その神からの贈り物の究極の姿が、主イエスの十字架の死と復活によって開いてくださった神の愛なのです。その愛、犠牲によって我々は日々変えられ方向修正されるのです。この身と思いを主にゆだねましょう。神は我々の父親なのですから。