皆さんは主イエスの十二弟子の中で身近に感じる弟子はおられるでしょうか。おられるとしたら誰でしょうか。私が身近に感じる弟子の一人は、このペトロです。私には口語訳のペテロ呼び方が染みついております。ご存じのようにペトロは元々漁師でした。そのペトロが主イエスと出会い、漁師をやめて主イエスの弟子として、他の弟子たちと共に主イエスの働きをしていきました。ペトロと主イエスの関わりは、まずペトロの兄弟アンデレが主イエスに出会ったときから始まります。アンデレはペトロに「わたしたちはメシア『油を注がれた者』という意味)に出会った」と言ったのです。つまり現代的に言うならばペトロは家族伝道をされて主イエスと出会ったわけです。

ペトロはイエスさまの信仰のテストで100点を取ったり0点を取ったりしたような人です。この様子から私は人間の信仰のリアリティーを感じ、同時にペトロが人間的で親しみが持てると思ったのです。人は誰しもこのペトロのように信仰を持っていても、大きな失敗をすることがあるのですが、ペトロの良い点は、その度に悔い改めつつ、めげずに主イエスに従ったのです。

私の幼い時に流行った歌で、水前寺清子さんの「一日一歩三日で三歩、三歩進んで二歩下がる」という歌がありました。私は、まさに信仰も進んだり、後退しながらの積み重ねではないかと、このペトロの姿を見ながら思うのです。そのようなそそっかしいペトロに対して、神様はいつも手を差し伸べられ、痛いレッスンを通して導き、新しい信仰の歩みを確実に示し与え続けられたのです。ペトロはそのような導きに対して悔い改めで応え、その痛いレッスンを自分のものにしていったのです。私はそのペトロの人生を振り返ってみると‘ペトロは主イエスに後押しをされ、信仰から信仰へと導かれ、主の証人として最後まで神に仕えていった’と見るのです。