私たちが人生を歩む時に必ず試練を経験いたします。それはクリスチャンであろうともなかろうともです。聖書のみ言葉の中には「万事が益となるように共に働く」とありますので、試練も我々にとって益になると確信するのであります。しかしその一方では、試練中にあっては我々はもがき苦しむのであります。

今日の聖書箇所はユダヤ人の歴史が語られているところです。特に出エジプト後にフォーカスをしています。それはエジプトの地で奴隷のような状態で苦しんでいた時、神はイスラエルの民の苦しみの叫び声を聞きました。

今日の13節の言葉はとても有名な言葉です。わたしも何度このみ言葉によって支えられたかわかりません。それは「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」とのみ言葉です。

試練は来ます、しかしその試練は乗り越えられるものだと神は励まされるのです。確かにその通りなのですが、この言葉も文脈の中で読み取る必要があるのです。確かに試練と共に逃れる道があるのは非常に魅力的です。しかしそれ以上大切なことは、「神は真実な方」だということです。別な言葉で約すると、「神には信頼するに足る真実がある」ことなのです。つまり信頼できるのは神様だけだという真実です。確かに耐えられない試練はないのだけど、その陰には、神だけには信頼がおけるから、自分は試練に耐えることができるのだと信頼できるのです。

神への信頼、主イエスへの信頼こそが大事です。決して神ではないものを神としてはいけないのです。偶像ではだめなのです。その神への信頼が自分が試練の中で働くのです。神が試練と共に逃れる道をも備えてくださるという信頼感に導くのです。