本日は敬老礼拝です。人は年を取ることで、今までできていたことができなくなったり、知り合いや親戚の方々が亡くなっていくのを見る時に寂しい思いがします。

旧約聖書では長命は神からの祝福だと言われております。しかしいのちが短ければ幸いではないのでしょうか。コヘレトの言葉12章の中に、「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」とあります。「『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちと」。つまり聖書はただ単に長命だけでは幸いではないとあります。しっかりと創造者である神に対して、そして主イエスに対して信仰を持ちなさいとの勧めを、聖書は語るのです。青春の日々と言っていますが、これはどのような年代でも良いのではないでしょうか。

本日の箇所では思い悩みの取り扱い方と、人生における優先順位を語るのです。それは命や体のことです。それらのことについて思い悩むなと主イエスは言うのです。そして自然の鳥や野の花を見て神のご配慮を学びなさいと勧めるのです。

人は年を取ると肉体は弱まります。しかしパウロは「自分が弱い時こそ強いのだ」と言いました。それは、弱さの中でこそ主イエスの信仰が輝くからです。主イエスはわたしたちの必要をよくご存じです。ですからまずは、心配するところか入らないでと主イエスはわたしたちに語っておられるのです。つまり神をまず信頼しなさいと。

新改訳のイザヤ書43章4節では「あなたは高価で尊い」と神は人に語っておられます。そしてヨハネによる福音書3章16節では「神はその独り人子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠のいのちを得るためである」と語られるのです。本当に神はわたしたちを愛するために主イエスを十字架につけられたのです。そのような神さまは、わたしたちの必要をよくご存じなのです。心配せずに主に信頼して生きましょう。