本日の前の聖書箇所はヘブライ人への手紙11章であり、それは別名、信仰の章とも言われています。この12章はその信仰の章を受けての内容になっております。

11章にでてくる多くの信仰者に、あなたがたは囲まれているとあります。私たちも旧約聖書を読む時に、色々な人たちの人生を思い浮かべることができます。あるいは思い浮かべるために旧約聖書を読むことが勧められております。私が旧約聖書を読むことが好きな理由は、書かれている内容にリアリティがあることです。確かに旧約聖書には、そんなことがあるのかと言う多くの奇跡もあります。しかしその一方で、多くの登場人物を決して美化しないで、その人の良かったことも失敗したことも、あからさまに記されています。

これらの多くの信仰者がいても、その信仰の創始者であり完成者が主イエスだと聖書は語るのです。まさに旧約聖書が語る信仰の粋(すい)は主イエスにある信仰です。

しかしここで信仰の完成者と共に、なぜ創始者とも言われるのでしょうか。旧約時代の人々の方が主イエスよりも時代的にも古いので不思議な言い回しです。一つ考えられることは、人間イエスの面からの創始者ではなく、神であるみ子イエスの面から考えて、信仰の創始者と言われているのではないでしょうか。

私たちは時々信仰生活をしながら、見返りのない思いをしたり、それ以上に信仰のゆえに悪口を言われたり、バカにされるような経験をするかもしれません。その時こそ主イエスの十字架での忍耐を思い出しなさいとここで語られているのです。

それゆえに「自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか」と聖書は語ります。主イエスは、私たちの前を走り、信仰を与え私たちを励まし、力を与えてくださるのです。そのイエスさまから目をそらさずに、私たちの人生を共に歩ませていただきましょう。