あけましておめでとうございます。この一年の私たちの信仰生活が祝され導かれますように祈りましょう。

このローマ書を見ますと、1~4章は信仰による義、そして5~8章は信仰により、どう生きるかが語られております。本日の聖書箇所の冒頭でパウロは「わたしたちは信仰により義とされた」と4章以前をまとめています。このためにはイエスさまの十字架が前もってあったのです。つまりわたしたちと神様の間にはイエスさまがおられるのです。本日は主の晩餐式もありますが、まさに主と共にある食事を礼拝で行うのです。

ここでの苦難、忍耐、練達はすべて信仰生活に密着した言葉です。忍耐は日本語で現される受け身的な辛抱や我慢という意味ではなく、一つの積極的な目的のために耐えていくのです。アスリートが栄冠を求めて頑張るように、主イエスにある栄冠を求めるのです。そのために積極的に忍耐していくのです。

練達は金属を精錬するときに使われた言葉で、鉱石を溶かして金属のカスを取り除くことです。それは火で溶かすような激しい試練を耐えた結果として練達を得ていくのです。

練達の英語がキャラクターという言葉です。刻印とか性格や品性とも訳されます。わたしたちの性格の中に神様の愛の刻印が押され、わたしたちの性格までもが変えられるのが、この練達の働きなのです。

その練達が希望を生むのですが「希望はわたしたちを欺くことがない」と言います。その欺くことがないとの言葉は、神様が希望を示すことを強調する言葉なのです。神様の愛によって、私たちはキリストにあって失望しないのです。

私たちは今、新型コロナウィルスの影響で苦難の時を経験しています。しかしこの苦難にも意味があるのです。このことで神様は私たちを鍛え、忍耐力を強めて下さり、その忍耐が我々のキリストにある性格を作るのです。このイエスの希望をいつも忘れずにおりたいものです。