神を知る者にとっての恵みは、神様に祈れることです。私が初めて神への祈りは良いなと思ったのは、小学生の時夫を亡くしたばかりの母方の祖母の食前の祈りでした。祖父母とも祖父の闘病中にイエスさまを信じたていたです。その祖母の祈りに私はとても驚き感動しました。どちらかと言うと控えめな祖母が堂々と神様に祈り、そして私たち家族のために慰めに満ちた祈りをしてくれました。

本日の5章16節からは有名な言葉が登場します。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」という聖書の言葉の中に、パウロの苦難や試練の中でも、喜びが含まれると告白したのです。
祈りとは言葉だけではなく、その人の心が主に向かっていることこそが大事だと聞いたことがあります。それは一日中、祈りの言葉が口から出ることは不可能ですが、わたしたちの存在を一日中主にまかせていくことは可能だからです。わたしたちがどのような状態であっても、神が私たちと共におられることを信じ自らを神に委ねるように心を神に向けていくことこそが祈りなのです。

そのように祈りながら日常の生活を歩むことで、神が共におられることを感じ、喜び、感謝できるのです。その祈りを通して神がわたしたちをも変えられるのです。例えば祈りを持って働き始めたり、家庭内のことを行う。祈ってから学びはじめ、試験も受ける。何か目標を成し遂げられた時には祈りで神に感謝するのです。そのように祈りを通して神の助けがあったと実感できるのです。そうです、神はわたしたちがおられる所に我々より前におられ、困っいても共におられる神に祈れるのです。我々は独りぼっちではなく、神は我々と常に共におられ、見守り、導いておられるのです。その恵みを祈りを通して益々感じ取りましょう。