主の日はキリストの復活記念日で、毎週の日曜日は小さなイースターです。それは感謝の日、喜びの日、希望の日なのです。そして主日礼拝は神が招いて下さっている、祝いの席、祭り、宴なのです。そして礼拝に出席することで、この世の様々な悪から守られる砦になるのです。この礼拝出席は神への感謝の応答であり、神への第一の奉仕です。そして私たちの生活はこの礼拝から始まります。イエスさまの十字架におけるいのちと引き替えで、今の私たちはあり、教会もあるのです。そしてイエスさまの復活を記念するためにも私たちは礼拝に参加するのです。

本日の聖書箇所はイエスさまのたとえ話です。この王とは誰でしょうか。この王は主なる神様です。その神が自分の御子のために婚宴の用意をなさって、人々を招待されたのです。

今日の中心はこの王の招きです。つまりは神が人々を招かれていることです。この聖書のストーリーでは、既に結婚式の招待は始まっていました。ユダヤの習慣では、招待者側が婚宴の前に「どうぞおいで下さい」と言い、招待を受けた側は「分かりました。参ります。」のようなやりとりがあってから、結婚式の準備が行われていったようです。

私たちも、この結婚式のたとえのように神様からの救いの招きがあったのです。私達が救われた背景には、このように神の招きがありました。神の招きがあったからこそ、我々の救いもあったのです。この招くと言うギリシア語は、他に‘召す’と訳されています。また‘名をもって呼ぶ’という意味もあるのようです。つまり救いは、神によって自分の名を呼ばれ、招かれた前提があるのです。その神の呼びかけに答えることで救われるのです。そして一旦神から招かれたならば、招かれたものとしての姿勢が大事なことが分かります。礼拝出席も神様からの恵みなのです。共にこの神様の恵みに感謝し、応えて行こうではありませんか。