もうすぐ桜が満開になります。非常に美しく気分も良い季節となります。しかしその一方で、世界的にコロナウィルスが蔓延しており、またロシア軍がウクライナを占領しておりますので憂鬱さを覚えております。早くコロナウィルスが終息し、またロシア軍も撤退してほしいと願い祈っております。

教会員のお連れ合いの方が、「自分も山を見る時、神を思うのだ」と語りかけてくださいました。その方がかつてスイスのマッターホルンの麓で、日光がマッターホルンの山頂を照らした瞬間の写真を撮られたそうです。その瞬間にその人は本当に神を感じたと言われました。
この聖書の箇所でイエス様が指して言われたのは、ソロモン王の衣が美しい紫であったので紫の花を差していたのかもしれません。紫のアネモネあるいは、あざみだという人もいます。アネモネにせよあざみにせよ、大事に栽培されて高値で取引される花ではなく、雑草扱いされるものです。草刈をすれば刈られて燃やされてしまう花なのです。
ここでイエス様は「働きもせず、紡ぎもしない」と5回も重ねて「~せず、しない」という言い方をしています。それはこの花をみてごらん。自分もあのように生きている。生かされているんだ。生きることは、それ自体が神の恵みを受けることだ。その奥義に気づかせるためだったに違いありません。
神様を信じていれば何も不足なく問題はないとは言えません。空の鳥も餌のない日があり、野の花が日照り続けてしおれてしまうことがあります。わたしたちも困ることがあるのです。
 わたしたちが忘れてはならないことは、神様は一番大切な独り子イエス・キリストを私達にを与えてくださったことです。その命を通して私達を救おうとされた神は、いつもわたしたちにに最善を与えてくださるのです。 わたしたちは神の大いなる恵みによって生かされているのです。春の花々を見ながら神のご配慮を感じましょう。