イエス様の復活の朝、兵士と女たちは御使いに会いましたが両者には決定的な差がありました。兵士たちは恐れて死人のようになり、祭司長たちに報告し嘘を広めたに対し、女達はイエス様の復活の知らせに大いに喜び、知らせるために走っていったのです。
しかしその一方、恐れて嘘を広めた兵士たちの話が、喜んで報告した女達の事実の話よりもユダヤ人の間に広まったことが、まるで事実報道よりもフェイクニュースが広まってしまったかのです。
皆様はどのようにしてイエス様の復活を信じましたか。私がイエス様を伝えた方はイエス様のほとんどのことは信じることができる。しかし復活のことだけは信じられないと言っていました。しかし最後には復活も信じてバプテスマを受けたのです。

復活を信じるにはパターンがあります。まずはイエス様が復活されたことを誰から聞く必要があります。実際にイエス様の復活について誰かを通して聞くか、吉田敬太郎先生のように聖書を通して聞くのです。聞いた時にその説明はありません。天使はイエス様の復活の意味は伝えていません。女達も弟子たちに神学的なイエス様の復活についての説明はしていません。単純に伝えただけです。その後に女達も弟子たちもイエス様に出会いました。この聖書の方々は実際に復活のイエス様に会ったのですが、私たちは聖書の言葉を通して自然にイエス様は甦られたのだ、復活されたとわかる瞬間があるのです。説明ではないのです。

ですから私たちが求められていることは、シンプルにイエス様の復活を伝えるだけなのです。説明や神学的な意味合いは求められていないのです。

箴言8章17節では「わたしを捜し求める人はわたしを見出す」とあり、35節は「わたしを見いだす者は命を見いだし主に喜び迎えていただくことができる」とあります。人が神をイエス様を求める時に見出し、まことの命を見いだし主なる神に喜び迎えられるのです。