皆様もそうだと思いますが、私は祈りによって人生が導かれました。自分の祈りと他者の祈りによってです。
 本日私が大宮バプテスト教会の牧師であった時に西南学院大学の神学部に進んだ、原田賢先生の牧師就任式があります。その教会の60年の歴史の中で初めて西南学院大学の神学部に導かれました。私は自分が色々な方々の祈りを通して導かれたように、その時代今度は牧師として導く役割になりたいと祈っていました。信仰告白をしてバプテスマを受けた方々はいました。しかし神学校に行き牧師になりたいという人はおられませんでした。ある時、牧師仲間の息子さん二人がその教会の礼拝に参加してくれました。その当時の教会には常時礼拝に集う青年たちがあまりいなかったので、私はこの二人に何度もメールや電話をしてアプローチをしたのです。どちらかというとお兄さんに連絡をしていたのですが、導かれたのは弟でした。彼らは大宮教会に決める前に多くの諸教会を訪ねて、最後に弟の原田先生は大宮教会に決めたのです。

 本日の箇所で別々に祈る2人が、祈りを通して一つに重なり合う所であります。1人はローマ兵の百卒長コルネリウスです。10章の冒頭にあるように信心深く家族共々神を敬い民に数々の施しをなし、耐えず神に祈りをしていた人です。彼が祈っている最中に幻を見てペトロを迎えなさいと神に示されました。
もう一人がペトロでです。彼はお祈りの途中で夢見心地になり、その後に幻を見ました。主が清くしたものを汚れたものにするなと。主が清くしたものとは異邦人のコルネリウスとその僕たちのことだったのです。
 教会は礼拝をすると共に祈る場所です。ペトロとコルネリウスの僕はコルネリウスの元に行きました。ペトロがコルネリウスやその親族、親しい友人たちにイエスの福音を伝えると、人々が主イエスを信じて聖霊を受けたのです。そしてバプテスマを受けました。我々教会はこれからも祈りで導かれましょう。