南ユダ王国最後の数十年の間、エレミヤはそこで預言をしました。彼は偶像により頼もうとする人々に向かって、まことの神に立ち返れと伝え続けました。そうではないと神の裁きがあると告げました。しかし民たちは偽預言者の甘い言葉に惹かれて、厳しいエレミヤの預言を聞かなかったのです。

悔い改めなかった南ユダ王国は、エレミヤの預言の通りにバビロニアに敗れたのです。そしてエレミヤはエルサレムから引かれていった捕囚として生きる同胞たちに、神のみ言葉を手紙にまとめて送りました。その手紙がこのエレミヤ書29章に残されているのです。そしてこのエレミヤ書全体は神の正義と恵みを伝える預言書として書かれたものです。

民族も信仰も滅亡の大きな危機に瀕し絶望しましたが、一部の人々は神殿で行われる祭儀ではなく、み言葉を中心とした新しい礼拝を捧げることで信仰と希望を見出したのです。そのために聖書の編纂を進めていき、現代に残された聖書の基盤を築いていったのです。また現代の教会と学校のもとになっていたシナゴグ(新約聖書では会堂と訳されている)は、この苦しみの期間にユダヤ人がみ言葉を後世に伝えるため、また礼拝を捧げるために生み出したものです。

私たちは苦しみの時に、神はどのように、わたしたちを助けてくれるかと願い求めます。そしてこの苦しみには意味があるのだと信じていこうとします。よく言われることは「人のピンチは、神のチャンス」なのです。こうした神の愛をイエス様は十字架で示してくださったのです。苦しむ時こそ神は我々の近くにいて「おい、俺はお前の近くにいるんだぞ」と耳元でイエス様が語っておられるのです。

そして、「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」とわたしたちにも日々語っておられるのです。