本日の仮庵の祭りは、出エジプトをした民たちが40年間、荒野を旅したことをものです。人々はその荒野の旅を後世に伝えるために、自分の家の庭や屋根の上に仮小屋を建て、そこに8日の間生活をした祭りでした。

マリアから生まれたイエス様の兄弟たちが、イエス様にユダヤに行けと言いました。兄弟たちは故郷で、兄イエスの行動やしるしを見ましたが、それと同じことをエルサレムに行って行えと勧めたのです。地方でちまちまやってないで、都心部で勝負しろ。北九州市ではなく東京に行けと同じような意味です。

この前の箇所を境にして以前イエス様の元にいた多くの弟子たちが離れてしまいました。それで再びイエス様が多くの弟子たちを持つようなるには、ユダヤに行けば多くの弟子たちを再び持つことができるのではないのかとイエス様の兄弟たちは思ったのです。この兄弟たちは人としての兄イエスの力は認めていたのですが、イエス様にある神のわざや信仰は理解していませんでした。つまり兄弟たちは兄イエスが自分の思いだけで行動していたと理解していたのです。

イエス様は兄弟が兄のことを思ってアドバイスを与えたことはよく知っていたでしょう。しかしイエス様はそのことを知りつつも、神さまの意向を最大限に優先したのです。ここにも我々の知らないイエス様の葛藤があったのではないでしょうか。そしてこのような思いを十字架の後で知った、イエス様の兄弟ヤコブは神に導かれました。そして色々な兄の姿を思い出し、考えたでしょう。そしてヤコブは後に、エルサレム教会の指導者として導かれたのです。つまりイエス様が人の思いを優先するのではなく、神の思いを優先した結果、それが最善のことだと証明したのです。そのこともありイエス様の兄弟ヤコブが導かれ、後のエルサレム教会のリーダーとして立たれたことを我々は読み取れるのです。家族を導くことは神の思いなのです。