パウロは聖書に残されているだけでも二つの手紙をコリント教会に送っています。最初の手紙はコリントの人たちの生活の問題について書かれ、そしてこの第二の手紙は、パウロが自分自身について書き送っています。それはパウロがコリント教会に疑われて信頼を失ってしまったから、パウロが自分自身について弁明をしなければならなかったのです。

パウロは他の多くの教会と関係があり、自分を疑うような教会からは手を引いて、別の教会のために力を尽くすこともできたはずです。しかしパウロはコリント教会について忍耐強く諦めずに、自分の存在をかけて手紙を書き送りました。

パウロはかつてイエス様の信者を何人も牢獄に送り込んだり死に明け渡しました。それにもかかわらず神様はパウロを赦し180度創り変えて、神様の働きに就かせてくださったのです。神に赦された者として、パウロはコリントの人々を赦し、そして大きな心で見ていったのです。

我々は神様から平和と平安をいただいています。そのことを経験していたパウロだからこそ、パウロは心の中でコリントの人たちを優しい心で見ることができたのです。そしてイエスさまが、愛の御腕の中でパウロを包み込んでくだったから、「わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができ」ると確信したからです。そのみ言葉のように我々も思うことができるのです。

我々の辛い経験は誰かのためにでもあるのです。それはパウロの辛い経験がコリントの人たちの信仰的な成長に必要だったからです。まるで親が子育てで傷つくことが、その子に必要なのと同じなのです。

現在苦しんでおられる方は、神様の慰めも備えられています。神が共におられるからです。そして決して無駄ではありません。いつか誰か同様な苦しみをしている方を、我がことのように思い祈れるためでもあるのです。