本日の詩篇86篇は嘆きと喜びが同居する、不思議であり素晴らしい詩篇です。この詩はダビデ王の作品とされ、「主よ、わたしに耳を傾け、答えてください」という訴えから始まり、また「わたしは貧しく、身を屈めています」と表現しています。ダビデは、自分の神に対する信仰深さが報われていない現実を祈りで訴えて嘆いているのです。それは14節にあるように、「傲慢な者」「暴虐な者」が、ダビデの「いのち」を奪おうと迫ってきている現実があるからです。それで改めてダビデは、神を「あなた」と呼びながら「あなたはわたしの神」と告白し、さらに「わたしはあなたに依り頼む者」と自分の意思を表明します。つまり神様を目の前で意識し、近い存在として捉えているのです。
このようにダビデは自分の今の現状の厳しさを正面から受け止め、また神に敵対するものたちに囲まれながらも、自分の嘆きを神様にストレートにぶつけています。そうです。ダビデの祈りの素晴らしさは、自分の感情を隠さずに神様に祈っていたことなのです。
ここで私は、なぜ多くの人が主を身近に感じることができない時があるのかを考えてみました。それは自分が持つ絶望感や嘆きを、主にストレートに表現しないからだと思ったのです。しかし本日の詩篇を読むことで、あるいは朗読することで、この詩篇の作者であるダビデから学び、心を神に対して隠さずに、感情のままに神に祈りで訴えるならば、苦しみから解放されて自由になるきっかけが作れるのです。そのことで神様を身近に感じ、まるで自分と神との関係が、悔しさを親にぶつける子供のようになるのです。
ダビデ王が日々神に対して全てをさらけ出し、良いところも悪いところもありのままに、素直に祈ったように、私たちも祈りましょう。そして子が親を見続けるように、私たちも神を近くに感じましょう。そして一刻も早くウクライナに平和がもたらされますように祈り続けましょう。