ここではイエス様の先駆け、バプテスマのヨハネ誕生について書かれております。それは「月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ」だけであり、実にシンプルな書き方です。しかしそれとは裏腹に「近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った」とあり、大きな反響があったことがわかります。このことはイエス様が生まれた時の福音書の記載とは対象的です。イエス様の誕生の時はごく少数の羊飼いが尋ねたのに過ぎません。しかも家畜小屋で生まれたので全く無視されたような状態でした。一方のバプテスマのヨハネの時は地域の人々や親戚が喜び合うような反響があったのです。
また命名の時は「八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした」とあります。子の命名権は両親にあったと思われますが、バプテスマのヨハネの場合はそうではなく、地域の人々にあったようなので、どれだけこの子に関しての関心があったかが分かります。しかしそれに対して「母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った」とあります。そのように答えたエリサベトは常識的に母親になることは不可能だと思われた年齢でした。この当時は子どもを産まない女性はあたかも神の恵みに預からないように思われていました。しかし不可能を可能にする神様は、そのようなエリサベトを顧み、子を与えられたのです。そのことも近所の人々、地域の人々は知っていたのです。それはバプテスマのヨハネが由緒正しい祭司の家系だったからです。日本の社会なら由緒正しい所の僧侶や神主の出のような感じでしょうか。また人々はその父ザカリアがくじ引きによって神殿で儀式を行おうとした際に、天使を見て話せないようになったことを知っていたから尚更でした。どのような子どもが生まれるのかと誕生する前から人々の期待があったのです。