本日の聖書箇所は人の自己満足の計画推進が書かれています。神さまは人を造られた時、その人に向かって全世界に広がって行け。また多くの子供達を生んで、この地球を神さまの代わりに管理せよと言われました。しかし人は、神様のご計画を全く無視しました。人々は『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』しました。神様は『地に満ちよ』と言われたのに、人は神の意に反して一箇所に留まり続けたのです。

私はここと初代エルサレムの教会が迫害でエルサレムから散らされたことを重ねて見ます。もちろんこの箇所は不信仰ゆえであり、使徒言行録では福音が全世界に伸びるために散らされました。

ここでの過ちは、人の高慢さであると私は考えます。この高慢さはイエス様を信じても陥る問題でもあります。私たちはイエス様を信じると、イエス様の十字架で罪が赦されると信じています。しかし我々は罪赦された罪人なのです。もし罪が赦されて罪人の性質が完全になくなれば結構なことです。しかし悲しいかな、罪人の性質はクリスチャンでも残っているのです。それを分かっていないと、キリスト者は知らず知らずに人を見下してしまいます。だからイエス様を信じていても、このバベルの塔のような過ちを犯してしまう危険性があることを覚えて自戒し、悔い改め続けないといけないのです。

人は自分の行動を神の言葉によらないで、特にうまく行っている時は、自分の思い込みで決めてしまうことがあります。そのような人の行動を神様は嫌われます。だから人は祈りを通して主の存在の前にへりくだるべきです。そのことで神の存在の偉大さを知り、また聖書を通して神の言葉を聞くことが大切です。神様はそのような人を導くために、強引な手段を取られることがあるのです。そのような配慮のある神様を信じて導かれましょう。