本日の聖書箇所は、この時代のユダヤ人が荒れ野のような苦難の時を歩んでいました。その時に神の言葉がバプテスマのヨハネを通してユダヤの人々に臨んだのです。具体的にヨハネは「罪の赦しを得させるための悔い改めのバプテスマ」について人々に語りました。

この悔い改めについては色々な例えがあるようです。その例えの一つは帰還すると言う意味です。それは聖書の言葉なので、神のもとに帰還すると言う意味になります。人が神の元に帰るということです。ある人は悔い改めを「頑なな心を捨てて、こった首を柔らかくして、その神の福音の言葉に対して「アーメン、その通りだ」と柔らかくなった首でうなずくことだ」と語るのです。つまり神様の言葉に対して心を開き、その神の言葉を心から受け入れて、自分の思いを神のもとに帰すことだと。そのようにバプテスマのヨハネの説教の主題は、神の言葉に自分が立ち帰ることにあるのです。

またバプテスマのヨハネは水を用います。バプテスマ、つまり全身が水の中に沈められるのだからもっともです。そのバプテスマの儀式のように、荒野の時代に生き、乾ききった人々の心に、福音という神の喜びの水を注ぐのです。そしてバプテスマのヨハネの行いは、我々バプテスト教会のバプテスマを大事にすることに、つながるのです。

ここでヨハネは人々に日常の生活の中で大きなことをしなさいと言われているのではなく、自分が置かれている立場で何ができるかを神の言葉によって考え直しなさいと問われているのです。そして今置かれている状況下で、委ねられている力や責任を自分のために有利に用いるなと言われ、むしろそれを用いて隣人と共に生きることを覚えなさいと勧められているのです。

そしてこのバプテスマのヨハネが最終的に「イエス・キリストが来られる、おられる、その人を見なさい」と16節で語るのです。ヨハネの言葉に聞き従いましょう。