イエス様は会堂(シナゴグ)で教え始めておられました。この当時の会堂は子どもたちの教育や、人々の祈りの場、そして礼拝の場所でもあったのです。また現在の公民館の役割をも担っていたのです。

エルサレムの神殿に集まることのできないユダヤ人たちが、地元にある会堂で集まり、旧約聖書の律法(モーセ5書)と、その後に預言の言葉も同様に読み聞かされたのです。そして祈りをささげ、言葉の解き明かしである説教を聞きました。

イエス様がその聖書を読み終えると、人々はイエス様に注目しました。読み方が人々の心に響いたのでしょうか。イエス様は巻物を巻き、係の者に返して席に座られました。そしてイエス様は「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められたのです。つまりルカは書いていませんが、この後イエス様は人々に多くのことを語り説教されたのです。その最初の言葉が、この「(旧約)聖書の言葉は成就した」と言われたのでした。

イエス様の説教に対して会衆は、恵み深い言葉だと驚いたのです。しかし次第に人々は、「この人は、あのヨセフの子」だと言ったのです。つまり「あのヨセフの子なのに、こんなだいそれたことを言っても良いのか。生意気だろう、あのだらしのないヨセフの子なのだから、イエスも大したことはない」と思ったのかもしれません。

イエス様の説教を最後まで聞き、会堂内の人たちは憤慨し総立ちになり、イエス様を町外へ追い出し、崖から突き落とそうとしたのです。不思議なことにイエス様は、人々の間を通られて立ち去られたのです。この思いが積み重なり、3年後イエス様は捕らえられて十字架で磔にされました。しかしイエス様は死んだ後に蘇り復活されたのです。私はここでイエス様が人々の間を通られて立ち去られたのは、復活のデモンストレーションのような気がします。イエス様も苦労されながら神の言葉を伝えたのです。