その後イエス様はナザレから再びカファルナウムに移りました。その地でのイエス様の活動は、故郷ナザレと違って大きく広がりを見せていたのです。その地の会堂に集まるユダヤ人たちは、イエス様がお語りになる教えにとても感動していました。

しかしこのイエス様の言葉にいち早く反応したのは、汚れた悪霊に取りつかれていた男でした。この男は何かの病いを持っていたと思われ、人々を驚かすような病状を持っていたのでしょう。そして神に反逆する存在がイエス様に対して、恐れおののきました。

イエス様は「黙れ。この人から出て行け」と叱られました。そうしたら悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行ったのです。その様子を見ていた人々は皆驚いて、互いに言いました。「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは」と。そしてこの悪霊に取りつかれていた男は開放され、神の恵みに中に迎えられていったのです。この男はイエス様により癒やされました。そのことを記したのは医師ルカなのです。このカファルナウムの礼拝が素晴らしかったのは、神が会堂におられたことを人々が悟れたからでもあります。

イザヤ書55章11節では「わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす」とありますように、神様の言葉には力があります。またヨハネによる福音書1章にあるように、この世界は神の言葉によって創造されましたが、その言葉こそが、我々の中でお生まれになられたイエス様だと読み取ることができるのです。そのようなイエス様だから、み言葉に力があり、その言葉通が現実するのです。

我々はイエス様の言葉に権威があり力があることを信じ、このイエス様の言葉に導かれ、生かされつつ希望を持って今週も共に歩みましょう。