イエス様の愛は、ありのままの私をそのまま受け入れ、許してくれます。放蕩息子が好き放題やっても、帰ってきただけで大喜びです。これから心を入れ替えてこれまでの事を償うために一生懸命働きますからではありません。何も言わず、無条件に受け入れて下さるのです。
今日の箇所は最後の晩餐の出来事です。イエス様がペテロに向けて貴方は三度私の事を知らないと言う有名な場面です。サタンの仕業で弟子達がイエス様を裏切ると宣告される場面において、イエス様がペテロの為に祈られた事を書き記しているのはルカ一人でした。この祈りの内容が驚きです。裏切らないようにとの祈りをするのではなく、裏切る事を前提に裏切った後に立ち直れるようにと祈っているのです。神様がついているから強い気持ちを持って逃げずに立ち向かいなさいと祈るのではなく、怖くて逃げるのは仕方ない。しかし、たとえ逃げたとしても自暴自棄にならず信仰だけは失わないようにと祈るのです。裏切っても仕方ないと受け入れてくれているのです。ペテロはイエス様の一番弟子とも言われ自分でもどこまででもついていきますと言っているように、イエス様の事を問いただされた時に弟子であることを認めて囚われる。あるいは何とかその場を逃れても、知らないなんて事は言わないでしょう。しかし一番弟子のペテロにあえて弱さをおしめしになられました。実際他の弟子たちもイエス様が捕らえられて身を潜めて逃げていますから、みんな自分が大事なのです。
イエス様はペテロに「あなたが立ち直ったら、他の人を勇気づけてあげなさい」と祈られました。それは「あなた自身が弱さを味わい、打ちひしがれ苦しんだ経験を通して、同じように苦しんで弱っている人の気持ちがわかるようになるから、弱くてもいい。私もそうだったのだからと勇気づけてあげなさい」といっているのではないでしょうか。
弱い私を神様はそのままでいいよと受け入れて下さっているのです。