先週は教会員のお二人の信仰と人生の歩みに感謝しつつ、皆様に支えられながら葬儀を行うことができました。それらの葬儀は幼稚園の登園の時間や帰りの時間と重なってしまいましたが、神様はまるで、教会も幼稚園も共に譲り合って助け合って歩みなさいと言われているようにも感じました。

教会は主イエスの約束を信じ、聖霊の働きによってスタートしました。そしてその聖霊によってなされた、使徒たちのしるしと働きによって多くの人々がイエスさまの名によるバプテスマを受けて教会に加わったのです。この頃弟子たちは神殿を中心に信仰生活をおくり、ペトロとヨハネは日に3度神殿で祈りを捧げていました。その時間の「美しい門」に生まれながら足の不自由な男が運ばれてきたのです。この当時、目の見えない人や足の不自由な人たちは神殿での信仰生活に預かれませんでした。

二人はその人を見て、ペトロは「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言い起しました。そうしたら男は歩き出し、躍り上がり喜びを体全体で表現して神を賛美したのです。彼が癒されて最初にしたことは神への賛美だったのです。そしてこの後男は、ペトロとヨハネと共に宮で祈ったのです。

神様は、この弟子たちを通して、聖霊の働きによって、今まで礼拝を許されず、祈れなかった人たちをも招かれていることを知るのです。つまりわたしたちにとって教会とは、どのような人たちをも招く場所になっていることが分かります。それが聖霊の働きを通して弟子たちにより導かれたのです。

これは旧約聖書の預言の成就でした。イザヤ書35章5~6節では「見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う」とあるからです。わたしたちにも、聖霊の力添えがあります。イエスさまに導かれて、人々を教会の礼拝や祈りに招きましょう。