私たち教会が神様から委ねられていることは、全世界にイエス様の福音を伝えていくことです。そのために教会は色々チャレンジして福音の種を自分たちの周りの方々に蒔きます。まずはこの地に教会があり、そして毎週神様を礼拝していることをお伝えすることから始まります。
今日はわたしたちが種を蒔く農夫としてここから考えてみます。この当時の農業は現代とは違い、種蒔きは実におおらかでした。それで種を蒔くと道端に落ちたり、石だらけの所に落ちたり、茨の中に落ちることもあったのです。
わたしたちは教会として色々な伝道方法を試しました。その時に無駄だと思ったり、半分諦めながらしている時もあったかもしれません。つまりそれが道端に落ちたり、石だらけのところに落ちたり、茨の中に落ちたように感じたのです。それらは一見無駄に見えます。しかし私達はどこが良い地なのか、どこに種を蒔けばいいのかわかりません。だからおおらかに種を蒔くのです。
わたしたちと神様との信頼関係がこの時求められます。我々が農夫として神様が我々にあらゆるチャンスを与えていることを信じるのです。その種蒔きが時には苦痛と思われるかもしれません。しかし神様は隣人の心を知り、その苦労の中で神を求める人を呼び起こしてくださるのです。そのようにわたしたちが福音を伝えようとする方々にも神による働きがあるのです。その人にとっては神を呼び求める時は良い状態ではないですが、それが神様の働きを通して、その方の心が良い地とされる時なのです。
人々へ蒔いた福音の種が、その人の心で芽を出し、成長し、花が開き、実を結ぶのです。わたしたちが伝える方々の心を良い地に神様がしてくださるのですです。わたしたちは神様に導かれて、人々に福音の種を蒔くのです。人のピンチは神のチャンスです。まさに「万事が益となるように共に働く」神は、教会が良い地に種を蒔けるようにと導びかれるのです。