イエス・キリストは、復活された後、弟子たちに「全世界に出て行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」という大宣教命令を与えられた。この大宣教命令はすべての福音書に記されており、キリストが教会に託された使命である。教会の存在意義は、この大宣教命令を果たすところにあると言っても過言ではない。
しかしまた同時に、復活のキリストは弟子たちにエルサレムに留まって聖霊のバプテスマを受けることを命じられた。バプテスマとは、水に全身を浸すことを意味する。すなわち聖霊のバプテスマとは、聖霊によって私たち自身が心の底から新たにされることである。ペンテコステにおいて聖霊のバプテスマを受ける前の弟子たちは、十字架を前にして恐れて師であるキリストを見捨てて逃げ去るような者たちであった。彼らは、言葉では命を捨てて主に従うと豪語しても、心の奥底には恐れや疑いがあり、他者と自分を比較して優越感や劣等感の中で生きていた。けれどもペンテコステの聖霊に満たされた彼らは、それまでの自分中心の人生から、神中心の人生へと変えられた。聖霊に満たされることで、全人類の罪、病、呪いのすべてを引き受けて十字架で死なれたキリストと出会い、死をも恐れることなく喜んで福音を証しする者へと変えられたのである。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」と記されている。力とは、神様の御心を行う力であり、神様の御心とは、世界のすべての民に福音が伝えられること、すなわち世界宣教である。復活のキリストは世界宣教の使命を弱く貧しい教会に託された。聖霊の力を受けて、主の願いである世界宣教に喜んで仕え、主の栄光を現わす教会となろうではないか。