ウクライナから来られたマリア・ダシケビチさんに証しをしていただき、平和への思いを新たにさせていただきました。
8月9日は長崎に原爆が落とされた日です。その原爆投下第一候補地が小倉であったことを忘れてはいけません。その前日に八幡が空襲され、当日にも爆煙があり、また天候が曇り模様で、さらに日本軍の基地内での煙幕によって爆撃目標が確認できません。40~50分小倉上空を原爆を積んだ爆撃機が旋回しましたが投下を諦め、第二候補地の長崎で原爆が落とされたのです。ですから長崎の原爆は我々にとって決して他人事ではないのです。
イエス様が十字架で命を通して私達を赦したように、わたしたちもまず隣人を赦すことが必要です。そのためには徹底的にイエス様に罪を赦されたことを感じることが必要なのです。それを実感するためには神の前にへりくだることが必要でしょう。祈りを通して神の前に近づくことで、神の偉大さ、清さに圧倒されるのです。
イエス様からわたしたちが派遣される時、自分の力でイエス様の言われていることを行うのではなく、イエス様からおくられた聖霊の力で行うのです。つまり私達に「平和あれ」と言われているイエス様が、我々に聖霊の力を与えて、我々はそのイエス様の赦しの福音を人々に宣べ伝えることができるのです。神に赦されたものが、人々に赦しの福音、平和を作り出す福音を聖霊の力により伝えるのです。
イエス様はどんなに人々が心を閉ざしても、中に入ることができる方です。誰にもできないことをイエス様ならば可能なのです。まことの平和とはイエス様にしか与えられないのです。どんなに荒んだ心にも、どんなに悲しい心にもイエス様が飛び込んでくださるのです。そして誰の心にもイエス様が言われた「平和・平安」が心の内に入るのです。それを与えられた一人ひとりが、イエス様にある平和を作り、この世界が平和で満ち溢れることを祈りましょう。